映画監督・俳優として
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1988年、海獣シアターの仲間とともに作った『電柱小僧の冒険』でPFFアワードのグランプリを獲得する。翌1989年、制作費1,000万、4畳半のアパートで廃物のSFXと少数のスタッフで制作された『鉄男』が、ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを受賞する。制作時点では海外での上映は考えてなかったが、東京国際ファンタスティック映画祭のプロデューサーの小松沢陽一が海外の映画祭に持って行ったことで、一般公開1作目にして国際的に高く評価され、後の海外映画祭における多数の新世代の日本映画評価への先鋒となる(また、この作品は、主演・田口トモロヲの映画俳優としての活動の足掛かりにもなる)。 1990年、諸星大二郎の漫画を沢田研二主演で映画化した『ヒルコ/妖怪ハンター』を制作。塚本にとっては初の35ミリフィルムでメジャー映画1作目となった。1992年、『鉄男II BODY HAMMER』が世界の40以上の映画祭に招待される。1993年ごろには『鉄男』のハリウッド版の企画が持ち上がり、クエンティン・タランティーノが制作に名乗りを挙げ意気投合するが、キャスティングや作品の構想など折り合いがつかず実現には至らなかった。1995年、元プロボクサーで実弟の塚本耕司の話をもとに映画『TOKYO FIST』を制作。自身で主演も務め、役のために1年間ボクシングジムにも通い、弟・耕司がライバルのボクサー役を演じた。 1997年、初めてヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた(2005年にも二度目の審査員として参加)。 1999年、塚本が演じる中年のサラリーマンを主人公にしたバイオレンスアクション『バレット・バレエ』を制作。さらに江戸川乱歩の短編小説を映画化した『双生児』が公開。主演の本木雅弘が発案し映画化され、『ヒルコ/妖怪ハンター』と同様に大手の映画会社が制作、配給を手掛けるが海獣シアターも全面的に協力する。 2002年に大谷健太郎監督の『とらばいゆ』や三池崇史監督の『殺し屋1』に俳優として出演し、第57回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。 2003年、黒沢あすかを主演にエロティシズムな世界を描いた『六月の蛇』でヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞を受賞。それまでは都市の中で個人が悶々と暴走していく作品を作り続けてきたが、2004年、浅野忠信を主演に肉体の内部に迫った『ヴィタール』をきっかけにコンクリートから外に抜け出し鮮やかな大自然も撮るようになる。 2007年、子どもの頃から江戸川乱歩のような暗い探偵ものに憧れ、松田龍平を主演に迎え『悪夢探偵』を制作。ウルトラQの夢か現実か分からない世界観にも影響を受けている。この作品は翌2008年に続編が作られシリーズ化した。 2010年、『鉄男』の発表から20年以上経ち『鉄男 THE BULLET MAN』を制作。ハリウッド版の『鉄男』の企画が頓挫してから塚本が極秘に温め続けてきたため全編英語で、主演の鉄男にはオーディションでアメリカ人俳優のエリック・ボシックが選ばれた。この映画はかねてから塚本のファンだったナイン・インチ・ネイルズが主題歌を書き下ろす。 2012年、塚本がインスピレーションを受け『ヴィタール』の主題歌も担当したシンガーソングライターのCoccoとタッグを組み『KOTOKO』を制作。第68回ヴェネツィア国際映画祭ではオリゾンティ部門グランプリを受賞した。 2015年、何年もかけ戦争体験者に取材を続け、市川崑監督により1959年に映画化された『野火』を自主制作スタイルで再び映画化。それまで都市と肉体をテーマにバーチャルリアリティな世界を描いてきたが、『野火』では観客にあえて戦場の生々しさ体感してもらい悲惨さを伝えるため、市川崑版では避けられた人肉を食べる表現にも向き合い容赦のない暴力を描ききった。この描写はヴェネツィア映画祭で上映した際には現地のマスコミからは賛否両論だったがとても長いスタンディングオベーションを受け強烈な印象を残す。自身で主演も務め飢餓状態の一等兵を演じ第70回毎日映画コンクールでは男優主演賞と監督賞をW受賞する。 2016年、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』に出演。オーディションで役を獲得したが、もともと塚本が監督した映画を観ていたスコセッシは、同姓同名の別の役者がやってきたと思ったという。前年、『野火』では体重を53キロまで落としたが、この作品では命がけのシーンにも挑む過酷な役柄だった事もありさらに体重を40キロ台まで落とし臨んだ。 2018年、長年「一本の刀を過剰に見つめる若い浪人」というアイデアが頭にあり、塚本にとって初の時代劇となる『斬、』を池松壮亮主演で制作。『野火』制作後も続く時代に対する不安や叫びが、その若い浪人の姿と重なり映画化に至った。
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