日本の競馬における主な落馬事故とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日本の競馬における主な落馬事故の意味・解説 

日本の競馬における主な落馬事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 04:54 UTC 版)

落馬」の記事における「日本の競馬における主な落馬事故」の解説

平地競走 1956年日本ダービー - 重馬場の上27頭立てということもあり、外枠の有力馬キタノオー・ヘキラクが早めに有利なポジション確保しようと内に馬体寄せた結果、1コーナー馬群内側詰まり混乱発生しその中で行き場失った内枠エンメイとトサタケヒロが落馬故障発症したエンメイ予後不良となり、エンメイ馬主作家吉川英治はそれにショック受けて馬主業から撤退したエンメイ鞍上阿部正太郎騎手として引退追い込まれる瀕死の重傷負った。この事故きっかけとなり、日本中央競馬会事故防止委員会設立したまた、事故調査委員会開かれ6月梅雨による馬場悪化影響指摘それ以降ダービーについて「5月最終日曜日実施する」という原則発表した加えてそれまで障害競走のみで使用されていたヘルメット平地競走でも導入することとなった1967年阪神大賞典 - 1965年ダービーキーストン(山本正司騎乗)が最後直線故障山本落馬予後不良なる程重傷負いながらも、失神している山本気づかうような仕種見せたキーストンの姿は、後々までの語り種になっている1973年高松宮杯 - 先頭走っていたハマノパレード最後直線転倒致命的な負傷負ったが、レース即座に安楽死とならず食肉業者売られたことが後日明らかとなる。この事件以降予後不良となった馬は手続き終了後即座に薬殺されるようになった1985年札幌日経賞で、スタート直後落馬したギャロップダイナ鮮やかな好位差しで“1位入線”を果たしこの年年末スポーツ特番格好ネタとなった。なお、グレード制施行後重賞レーススタート直後落馬した馬が“1位入線”したケース1993年京阪杯(ワイドバトル)、2008年エリザベス女王杯ポルトフィーノ)、2010年ユニコーンステークスコスモセンサー)、2012年全日本2歳優駿アメイジア)の例がある。なお、ポルトフィーノ騎乗していた武豊2002年菊花賞でも落馬しており、GI競走複数スタート直後落馬した史上初めての事例となった1990年前年阪神3歳ステークス優勝馬コガネタイフウは、1年2度平地競走落馬している。3月4日ペガサスステークス10月20日のカシオペアステークス(オープン特別)である。いずれも騎手田原成貴ペガサスステークスでは腰椎骨盤骨折する重傷負ったが、馬はいずれレースでも故障はなかった。なお同馬はのちに障害競走にも出走した(3戦して落馬なし)。なお、1年2度平地競走落馬した馬には、ギガンティック(翌年平地競走1回落馬)、アルドラゴンタナトスがいる。 1995年第36回宝塚記念 - ライスシャワー第3コーナーの坂の下りこの年京都競馬場開催)で故障発生し転倒鞍上的場均落馬し馬は予後不良となる。のちに京都競馬場内をはじめ数か所に同馬の記念碑建てられた。 2001年京都大賞典 - ステイゴールド最後直線斜行し、ステイゴールドテイエムオペラオーの間に挟まれナリタトップロード鞍上渡辺薫彦落馬審議結果ステイゴールドは1位入線失格となり、2位入線テイエムオペラオー繰り上がり優勝した2007年1月27日東京競馬場において、第2競走から3レース連続して計9頭の落馬事故起こった。また第10競走でも1頭が故障して落馬。同じ日の小倉競馬場で2頭、翌1月28日京都競馬場でも2頭が落馬しており、2日間で14落馬したことになる。このほか28日小倉第4競走新馬戦では1着馬が入線後落馬している。 2010年1月11日中山競馬場において、第4競走3歳新馬でノボプロジェクトが第4コーナー急に外側斜行したことの影響出走16頭中9頭が落馬した1つレースでの落馬頭数としては中央競馬史上最多。ノボプロジェクトは1位入線失格となり、騎乗していた三浦皇成進路妨害認められ4日間の騎乗停止となった落馬した9頭に異状はなかったが、内田博幸が左尺骨近位骨幹部骨折重傷を負うなど騎手6人が負傷検査によりその後レース騎手変更余儀なくされた(詳細について9頭落馬事故参照)。なお、地方競馬では1979年2月園田競馬場出走11頭中8頭が落馬する事故発生している。 中央競馬GI競走における1番人気馬の落馬の例としては、1969年の日本ダービーでのタカツバキスタート直後落馬)、2002年菊花賞でのノーリーズンスタート直後躓き落馬)がある。 障害競走 障害競走では複数頭の落馬がたびたび発生している。1985年中山大障害(春)では、名物大竹柵障害出走馬10頭中6頭が一挙に落馬完走したのは半数以下の4頭だった。1999年京都ハイジャンプでは13頭中7頭が、2003年阪神スプリングジャンプでは14頭中6頭が、2010年12月4日阪神競馬第4競走障害未勝利戦においても14頭中7頭が落馬している。2001年中山グランドジャンプでは、向正面2号坂路バンケット)の下り先に転倒した馬に後続の3頭が巻き込まれ落馬したが、このうちの1頭のランド再騎乗して完走した1964年3月8日中京競馬場でのサラ系障害戦では、出走頭数4頭のうち3頭が落馬し、1頭(アルプスオー)のみ完走果たしたこの為単勝式馬券のみ的中となり、連勝式馬券買い戻しとなった1965年1月4日第1回中山競馬第2日目第3競走サラ障害オープン戦勝ち馬フジノオー)において、サチオンワードに騎乗していた坪井正美は、最終障害落馬転倒して後続の馬に頭を蹴られ前頭頭蓋骨陥没骨折および側頭部開放性骨折重傷負った。特に側頭部骨折箇所からは脳が見える程の大怪我であったが、すぐに病院搬送され緊急手術受けた結果奇跡的に回復年内には復帰して14勝を挙げ1980年引退するまで活躍した1970年5月17日行われた第5回阪神障害ステークスでは、出走馬4頭中3頭が落馬し、1番人気のツキヒデキング(佐山優騎手騎乗)が優勝した。また落馬した3頭のうち、最低人気のダイニトップレディは、高見常正騎手再騎乗の上完走した為、連勝式馬券買い戻し発生しなかった。

※この「日本の競馬における主な落馬事故」の解説は、「落馬」の解説の一部です。
「日本の競馬における主な落馬事故」を含む「落馬」の記事については、「落馬」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本の競馬における主な落馬事故」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本の競馬における主な落馬事故」の関連用語

1
8% |||||

日本の競馬における主な落馬事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本の競馬における主な落馬事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの落馬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS