日本の競馬の歴史
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日本において西洋式の競馬が最初に行われたのは、万延元年9月1日(1860年10月14日)に横浜山手麓(現在の元町)とされる。これまで、文久元年(1861年)に洲干弁天社裏で行われたのが最初と言われていたが、研究の結果それよりも早く実施されていたことがわかった。その後山手が宅地化されたため、文久2年5月1日、2日(1862年5月29日、30日)に、横浜の外国人居留地に編入されながら、まだ空き地だった旧横浜新田(現在の横浜中華街)で、より本格的な競馬(当初は「馬かけ」と呼ばれた)が開催された。その後そこも宅地化が進み、山手のイギリス軍キャンプや根岸の射撃場を転々としながら、恒久的な競馬場として根岸競馬場が建設された。諸外国の要望の応え、幕府が慶応2年(1866年)6月から建設を初め、翌年1月11日、12日(1867年2月15日、16日)に最初の競馬会が開催された。まもなく日本人が西洋式競馬に倣い馬券の発売を伴った競馬開催が行われるようになった。 当時の国産馬は西洋の馬と比べて質が劣っており、品種改良と競争(競馬)を通して良質の軍馬を調達しようと国も積極的に競馬を奨励した。はじめ馬券の発売には法的根拠がなかったが、1923年に(旧)競馬法によって法的根拠が与えられた。日本競馬会の発足とともに政府が深く関与する競馬が全国的な統一組織のもとで開催されるようになり、そうした競馬は国営競馬を経て中央競馬へと受け継がれている。一方戦後、かつての地方競馬規則に基づく地方競馬や鍛錬馬競走を継承する形で地方公共団体を主催者とする地方競馬が行われるようになった。 日本の競馬の歴史の詳細については競馬の歴史 (日本)を参照
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