タカツバキとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > タカツバキの意味・解説 

タカツバキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 02:22 UTC 版)

タカツバキ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1966年4月16日
死没 不明(1982年以降)
シプリアニ
ニューフーム
生国 日本北海道静内町
生産者 谷岡正次
馬主 若林重造
調教師 松田由太郎京都
競走成績
生涯成績 20戦6勝
テンプレートを表示

タカツバキとは日本競走馬抽せん馬1969年きさらぎ賞優勝馬であり、第36回東京優駿(日本ダービー)で1番人気で落馬したことで知られる。

略歴

1968年7月14日山本正司鞍上でデビューして2着となった。2戦目で勝ち上がると、12月に行われた中京3歳ステークスで8馬身差の圧勝をするなど、3歳時は8戦4勝の成績を残している。

翌年(1969年)は2月16日のきさらぎ賞から始動。向こう正面で先頭に立つと2着馬に4馬身差の圧勝。鞍上の田口光雄に初重賞をプレゼントした。東上後に3月8日の4歳抽籤馬特別に60キロの斤量を背負ったが、これも4馬身差の圧勝。クラシック戦線の有力馬となった。ダービーまでは嶋田功主戦として乗る事となる。続くスプリングステークスワイルドモアの2着。皐月賞では不利が響いて同馬の3着に敗れている。

日本ダービーはワイルドモアの戦線離脱もあり、押し出されるように1番人気に支持されたが、馬群に揉まれるようにして落馬して競走中止の憂き目を見ている。

同年10月に復帰したものの、惨敗が続き、6歳2月の条件戦を最後に引退している。

引退後は競馬会から買い上げられ、福島県いわき市で乗馬用の種牡馬となった。1979年まで供用された後に、1982年時点では北海道帯広の十勝柏友会乗馬クラブで元気な姿を見せていることが確認できている。死亡時期と状況は不明である。

参考文献

  • 今井昭雄編 優駿1982年4月号 脇役物語 p60-63(日本中央競馬会、1982年)

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  タカツバキのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「タカツバキ」の関連用語

タカツバキのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



タカツバキのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのタカツバキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS