第36回東京優駿での珍事
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「ダイシンボルガード」の記事における「第36回東京優駿での珍事」の解説
ダイシンボルガードが勝った東京優駿は以下のエピソードで有名である。 1969年5月25日、東京競馬場で行われた第36回東京優駿は不良馬場のなか28頭立てで行われた。皐月賞優勝馬のワイルドモアが骨折により出走を回避したため混戦模様となり、単勝1番人気はタカツバキ、2番人気は皐月賞2着馬ギヤロツプ、3番人気は朝日杯3歳ステークス優勝馬ミノルで、ダイシンボルガードは6番人気であった。 このレースは事故や珍事が重なった。まずスタート直後に1番人気のタカツバキが転倒して騎手の嶋田功が落馬し競走中止となった。さらにゴール前の直線ではハクエイホウをダイシンボルガードとミノルが追い、3頭での激しい叩き合いとなったが、ダイシンボルガードの担当厩務員の石田健一が「俺の馬だ」と叫びながら係員の制止を振り切ってレース中のコースに乱入する騒ぎが起こった(競走中の同馬と旗を振る石田が一緒に写った写真が残っている)。結局ダイシンボルガードがミノルにクビ差で勝利した。石田の行動に対し観客席からは拍手が起き、競馬マスコミも好意的であったが、レース後石田は厳重注意処分(実際には戒告であった)を受け、この件は公式記録の制裁欄にも記載された。 騎手を務めた大崎昭一はこのとき24歳で、当時としては戦後最年少のダービージョッキーとなった(現在は1971年にヒカルイマイで東京優駿を制した田島良保騎手の23歳に次ぐ記録)。またレース後には競馬ファンの手により胴上げされたが、レース後に胴上げされたのは大崎が初である。
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