日本における不発弾の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 21:00 UTC 版)
「爆発物処理」および「不発弾処理 (自衛隊)」も参照 不発弾処理は特に危険であるため、自衛隊内でも特に専門教育を修了した隊員のみが実施する業務となる。陸上自衛隊および航空自衛隊では、不発弾処理要員として一定以上の資格を持つ隊員に対して不発弾処理徽章が授与される。 不発弾を発見した場合、いつ爆発発火するか予測が付かず大変危険であるため、無闇に触らず、その場から直ちに離れて119番、または110番通報(海上の場合は118番)することが奨められている。 第二次世界大戦において空襲を受けた市街地や、地上戦の行われた沖縄、硫黄島などの各種建設現場(マンションなどの再開発、鉄道の連続立体交差工事など)や海岸から不発弾が発掘されることは現在でも珍しくなく、大規模な空襲を受けなかった京都でも戊辰戦争当時の砲弾が発掘された事例もある。これらの自衛隊外で発生した不発弾を部外不発弾と呼び、陸上自衛隊は各警察本部長から、海上自衛隊は自治体からの要請で処理にあたっている。原則として、陸上で発見された不発弾及び漂着機雷等は陸上自衛隊が処理し、浮遊機雷や海上自衛隊が直接通報を受けた漂着機雷等は海上自衛隊が処理する。 実際に戦争で使われたものではなく、演習場での実弾演習時にも砲弾などの不発弾は一定量発生し得る。このような物は部内不発弾と呼び、通常はただちに爆破処理されるので社会的な問題になることはない。しかし、中には演習場に入り込んだ軍事マニアらが不発弾を持ち出し、演習場外で誤って爆発させてしまうという事故も発生している。 これら不発弾は所持だけでも爆発物取締罰則にて罪に問われる。過去の爆発(爆死)事故事例では、マニアが持ち出した砲弾を置物に改造しようとして、信管を外そうとしている内に誤って爆発させてしまったケースなどが報じられており、このほか爆死した自衛官の家宅捜索で違法な銃火器・爆発物収集マニア向けに加工不発弾などを販売するため貯えていたと見られる大量の武器弾薬が発見されたことから、周辺住民退避の上で不発弾処理班が出動したケースも2003年に報じられている(→沖縄・自衛官爆死事件)。 沖縄県では観光客や修学旅行生が海岸などで沖縄戦の不発弾を偶然見つけて拾得し、持ち帰ろうとして那覇空港などの検査場で発見され、回収される事例が起こっている。 日本国内における、第二次世界大戦で使用された不発弾による事故としては以下のような例がある。 1974年3月2日、沖縄県那覇市小禄で下水道工事中に不発弾が爆発し、付近の聖マタイ幼稚園や家屋に被害を及ぼし、同園の園児を含む4人が死亡、34人が負傷する事故が発生している。 1992年11月4日、大分県大分市のバイク店で爆発事故があり、店舗が全壊・焼失して地面にえぐる様に大きな穴が開き、経営者の妻が重傷を負った。当初はガス爆発と思われたが、大分県警察と消防による現場検証で金属片が見つかったこと、さらに科学警察研究所で調査した結果、爆発したのは第二次世界大戦時における米軍の不発弾であることが判明した。 1999年2月9日午後3時半ごろ、三重県木曽岬町の道路工事現場で地中に埋まっていた米軍の2000ポンド爆弾(重さ約1トン)と見られる不発弾が爆発、作業員1人が死亡した。現場は三重県と愛知県の県境を流れる鍋田川の三重県側河川敷。 2009年1月14日、沖縄県糸満市で水道工事において建設重機での道路掘削中に不発弾が爆発。 重機を運転していた作業員など2人が重軽傷を負った。戦後64年が経過しても不発弾は爆発することを示す事件となった。 実際に不発弾処理作業が行われる場合、災害対策基本法第63条に基づく警戒区域が設定され、周辺を封鎖し、安全を確保して行われる。封鎖地域への立ち入りは禁止され、地域内の住民や病院に入院中の患者などは地域外への避難を余儀なくされる。特に都市部の幹線道路や鉄道路線が封鎖地域にかかる場合、道路の通行止めや列車の運行が中止されるため、影響が大きい。そのため通勤・通学などへの影響が少ない日曜日に行われることが多い。なお、撤去後の弾薬については、かつては海中投棄も行われていたが、2007年以降、海洋汚染防止のため、全て陸上処理されることとなった。 不発弾に信管があり、外すことができる場合には、現地で外した上で自衛隊駐屯地等へ搬出した後に爆破処理するが、信管を外すことができない場合には現地で爆破処理を行う。沖縄県の現地処理の一例では、不発弾の近隣に数mの深さの穴を用意し、筒状に組み立てたライナープレートや大型土のうで飛散防止対策を講じてから不発弾を穴の中へ移動させて爆発させる。 沖縄県の防災危機管理課によると、不発弾の爆発で生じた民間人の被害に対する国からの補償は、補償金ではなく「見舞金」という形で存在している。2009年1月に糸満市で起きた不発弾爆発事故をきっかけにできたもので、「沖縄特別振興対策調整費」の一部(「事業名:沖縄県不発弾等安全基金」)として、条例に基づき死亡の場合1,000万円、負傷の場合は程度によって750万-314万円を沖縄県が支払うことになっている。 他方で、不発弾の処理に掛かった費用については、負担先を規定する法令が存在せず、このため処理費については、不発弾が見付かった土地の所有者に対して求めるケースが多い。これに関連して、2015年5月9日に大阪市浪速区日本橋で行われた不発弾処理で、不発弾の発見された土地の所有者が、大阪市に対し「不発弾処理は戦後処理の一環であり、行政が責任を負うべきである」として、大阪市を相手取り大阪地方裁判所に、処理費の返還を求める訴訟を提起し係争中である。また、この訴訟に絡み、大阪市側も日本政府に対し「戦後処理は国の責任である」として訴訟参加を求めたものの応じなかったため、土地所有者は国を相手取り同年12月9日に新たに同地裁に訴えを起こした。2018年2月、訴訟は所有者側の敗訴となった。
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