日本における万年筆の歴史とは? わかりやすく解説

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日本における万年筆の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 09:09 UTC 版)

万年筆」の記事における「日本における万年筆の歴史」の解説

日本では江戸時代後半発明家国友藤兵衛が「御懐中筆」の名で万年筆あるいは筆ペンのようなものを発明していた。近代的な万年筆日本入ってきたのは1884年で、横浜バンダイン商会輸入し東京・日本橋丸善などで販売された。当時後半部分がほぼ英名の直訳である「針先泉筆」と呼ばれており、「萬年筆」と命名したのは、1884年日本初国産万年筆模作した大野三郎と言われている。大元堂の田中富三郎万年筆日本での普及努めた。しかし、「末永く使える」という意味で「万年筆」の訳語与えたのは内田魯庵というのが通説である。公文書へのインク使用解禁され1908年明治41年以降毛筆に代わって普及するようになった国産化進んだ当初ペン先輸入し木地師技術受け継ぎ轆轤扱える職人ペン軸造って仕上げた大正時代にかけて、今日セーラー万年筆プラチナ萬年筆といった万年筆を含む筆記具メーカー創業され、並木製作所(現・パイロットコーポレーション)は蒔絵施したペン軸エボナイト紫外線黄ばみやすい欠点克服するため漆で補強し輸出につなげる狙いがあった。国外で好評だったが、内田魯庵は「奇妙なもの」と酷評した日本万年筆製造第一次世界大戦後盛んになり、統計上は不詳であるが1940年にはピーク迎え世界第2位輸出国となっている。昭和初期には1,000社を超えるほどメーカー増えた。しかし1940年には万年筆にも公定価格導入され、軸外径、軸種、ペン先種、ペン先全長により15種(製図用を除く)に製品規格化なされた価格規格に応じて2円から4円95銭(税込)までとしたため、高級品の製造控えられ廉価品は質の劣化進行した戦後ボールペン筆記具主体となったが、現代でも愛用者多くオーダーメイド手作り請け負ったり、インク調合したりする職人企業もある。また1950年代および2010年代には年間およそ1,000前後日本から輸出されている。 万年筆ペンとともに1960年代ごろまで、手紙やはがき、公文書など改竄不能な文書を書くための筆記具として主流であったが、徐々にボールペンに取って代わられた。1970年代公文書へのボールペンの使用可能になり、また書き味に癖がなく安価な筆圧筆記具である水性ボールペン開発されたこと、学生向けの筆記具としてはノック式シャープペンシル普及したことにより、日本において万年筆事務用・実用筆記具としては殆ど利用されなくなっている。1990年消費者物価指数対象品目から除外された。むしろ、役所によってはサインペン同等みなされ使用禁止にされているところもある。 21世紀になると万年筆希少性独自性見直され趣味文具コレクター文具として復権し、万年筆扱った書籍雑誌刊行されるようになっている

※この「日本における万年筆の歴史」の解説は、「万年筆」の解説の一部です。
「日本における万年筆の歴史」を含む「万年筆」の記事については、「万年筆」の概要を参照ください。

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