抗議者側とは? わかりやすく解説

抗議者側

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 17:14 UTC 版)

徳島県教組業務妨害事件」の記事における「抗議者側」の解説

徳島県教組からの刑事告訴対し在特会側も日教組徳島県教組詐欺容疑刑事告発したが不受理とされた。 また、2010年平成22年4月27日には事件関与者のうち増木と川東、他数名徳島県庁記者会見行い、「徳島県教組募金詐欺働き北朝鮮系の反日団体に金を送った抗議当然のことだ」などと述べた。これと並行して記者会見当日在特会東京支部日教組本部前で、翌4月28日に同京都支部徳島県庁前で、それぞれ抗議街宣行った川東はのちに自身ブログでこう語っている。 徳島県での事件も、簡単に述べると、交通事故等によって親を失った遺児高校進学等の為の支援を行う「あしなが育英会」の名前を騙って子ども救援カンパ」なる募金日教組が行った訳であるが、その募金集まったお金1億7000程の内、1億円を上部組織連合収め、そこから徳島県教組朝鮮学校への寄付として150万円渡したというのが事件発端である。朝鮮学校の子供達は、日本の公立学校入学認められているにも関わらず、親の意思で「民族教育受けさせる」として通っている子供達であり、比較的、裕福な家庭の子供なのである。つまり、「親を失った子供就学支援使われる」と思って募金した人のお金を、「親もいる。家庭裕福」な子供使ったのである更には朝鮮学校日本人拉致事件行った北朝鮮と、その出先機関ある朝総連傘下学校であり、そこでは金親子の肖像画掲げて様々な反日教育行っている事が知られており、そのような事から「朝鮮学校寄付される知っていたら、募金しなかった」と言う人が多くいた。さらに、この事件によって、あしなが育英会悪評が立ち、一時期あしなが育英会への寄付減って交通遺児への支援金不足して高校進学断念する子供達出ていた。 — 川東大了2014年7月19日(土)のブログから抜粋 他方で、参加者側から過激な抗議活動行ったことへの懸念批判の声上がり始めた参加者一人であるDは徳島県教組による告訴翌日自身ブログで「抗議前々日過激な行動控えよう申し合わせたのにこんなことになってしまった。これでは支持広がらないし、増木はもう少し頭を使って欲しい」とリーダー格である増木の言動批判したまた、当時在特会共闘関係にあり、当事件やその後記者会見構成員参加していた主権会は、「今回抗議現行犯逮捕されてもおかしくない危険で無責任な行動であり、『行動する保守運動大きなダメージ与えかねない」として、本件関与した増木・荒巻ほか1名と記者会見参加した1名の計4名を除名処分にすると発表した

※この「抗議者側」の解説は、「徳島県教組業務妨害事件」の解説の一部です。
「抗議者側」を含む「徳島県教組業務妨害事件」の記事については、「徳島県教組業務妨害事件」の概要を参照ください。


抗議者側

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 19:07 UTC 版)

京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の記事における「抗議者側」の解説

在特会事件当日に「関西支部在日朝鮮人不法占拠されてきた児童公園奪還!」と題した記事公式サイト上に掲載し抗議成功裏終わった報告した。また2009年平成21年12月21日には初級学校校長らを都市公園法違反容疑刑事告発している。 在特会抗議依頼おこなった住民男性アップロードされた動画事件のことを知り若干やり過ぎではないか感じつつも、感謝の意込めて相場上のカンパ行ったという。 翌2010年平成22年1月14日にはA率い在特会京都支部とD率い主権会関西支部主催、C率い在特会大阪支部ほか3支部の共催で「朝鮮学校による侵略許さないぞ!京都デモ」と称する抗議デモ(以下「1.14デモ」と表記)が初級学校周辺行われたデモには在特会副会長のFなど約50人が参加し、「朝鮮人保健所処分しろ」などといったシュプレヒコール上げられた。初級学校側課外授業実施し児童らを校外避難させる措置講じた。 さらに前記仮処分後の3月28日には、主権会関西支部主催在特会京都支部共催で「在日無年金朝鮮学校不法占拠許さないデモ行進」と称する抗議デモ(以下「3.28デモ」と表記)が再び初級学校周辺行われた。こちらのデモにはFに加えて主権会代表の西村修平参加し前回よりも多い約100人の参加者が「ゴキブリ朝鮮人ウジ虫朝鮮人朝鮮半島帰れ」「京都キムチの臭いにまみれさせるな」といったシュプレヒコール上げた。なお前記仮処分について在特会側は、初級学校側不備仮処分決定通知書受領できず、事前に内容知り得なかったと主張した。 またこれらの動き並行して後述するマスメディア弁護士会などによる在特会主権会への批判反論抗議する活動行った

※この「抗議者側」の解説は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の解説の一部です。
「抗議者側」を含む「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の記事については、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の概要を参照ください。


抗議者側

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 19:07 UTC 版)

京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の記事における「抗議者側」の解説

在特会など抗議者側の多くは現在も当事件を全面的に正当化する姿勢崩しておらず、当事件を「日本を守るための正義戦い」、逮捕され参加者を「勇士」と呼んで賞賛している。在特会筆頭副会長八木康洋は、「在特会彼等これ以上罪を重ねないようにしてあげたのだから、逆に感謝してもらいたいくらい」「裁判では朝鮮学校支援者達が大量に傍聴来て100人近弁護士代理人となっているが、誰一人として朝鮮学校違法行為を(教職員ら)に教えてやらなかったのが不思議」と主張するまた、同会会員瀬戸弘幸は「歴史的な快挙であり、歴史的な偉業でもある。しかし、この偉業達成するには関西地方における愛国者勇敢なる戦いがあった。大きな犠牲払って勝ち取った成果」と自身ブログ書き綴っている。 事件からちょう1年目にあたる2010年平成22年12月4日には在特会東京京都北海道宮城4支部が「勧進橋児童公園奪還一周年記念」などと題したデモ行い、翌2011年平成23年12月4日にはチーム関西メンバーらが京都市内で「勧進橋児童公園奪還二周年」を記念するパーティー開催した2014年12月7日には在特会による京都市内八坂神社からのデモ行進が行われた。 2012年平成24年5月10日にはA・B・Eロート製薬強要事件逮捕され同年12月にはAに実刑判決言い渡された。 他方で、この事件きっかけ在特会などの活動から手を引いた者も現れた。チーム関西まとめ役一人として街宣参加し起訴猶予処分受けた50代後半男性は「これを契機過激な言動控え運動社会的に広げる方向に向かうべきだ」と主張したが受け容れられず、失望して活動現場離れたまた、在特会地方支部長を務めていた50代男性は、「在特会違法行為である本事件全面的に肯定した結果、ただ騒ぎたい連中ばかりが台頭するようになり、『逮捕上等・愛国無罪』の組織になってしまった」と述べ2011年平成23年)に支部長職を辞して会を去ったまた、主権回復を目指す会事件後、「西村修平事件には関与していない」とし、近隣の住民から京都朝鮮学校不法について相談受けた4名が、この巨大な権力対し何の後ろ盾もない身でありながら勇気持って抗議したのが事の真実であるとしつつも、「その大義世に問う手法正しいものであったかどうか世論賛同得たかどうか考えるとき、深く反省するところがある」と発表し過激化した街宣自己批判する声明発表したその後、同団体在特会過激なヘイトスピーチめぐって対立することとなった

※この「抗議者側」の解説は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の解説の一部です。
「抗議者側」を含む「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の記事については、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「抗議者側」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「抗議者側」の関連用語

抗議者側のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



抗議者側のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの徳島県教組業務妨害事件 (改訂履歴)、京都朝鮮学校公園占用抗議事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS