抗議行動としてのボイコット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:45 UTC 版)
「ボイコット」の記事における「抗議行動としてのボイコット」の解説
公権力機関(政府、官庁、自治体、学校、行政機関)や法人など、組織的に強い力を持つ団体を相手に、抗議行動としてボイコットを行なうことがある。 歴史上著名なボイコットに、モンゴメリー・バス・ボイコット事件がある。これは、1955年、アメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリー市で、公営バスの運転手の命令に背いて、白人に席を譲るのを拒んだアフリカ系アメリカ人ローザ・パークスがジム・クロウ法違反で逮捕されて、州簡易裁判所の罰金刑を宣告されたことに端を発し、公共交通機関における人種差別に抗議して行なわれた。 当時貧しい黒人にとって、路線バスは必須の公共交通機関で、利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したり、どこへ行くにも徒歩を用いたため、路線バスを運営するモンゴメリー市の財政に大きな打撃を与えた。連邦最高裁は罰金刑を取り消し、バス車内の人種分離はアメリカ合衆国憲法に違憲であると認定され、判決の翌日にボイコットが終熄している。ボイコットを指導したマーティン・ルーサー・キングは、勝利を期に全米各地で公民権運動を展開、ワシントン大行進など数多くの抗議行動で圧力をかけ、アメリカ合衆国議会で公民権法を成立させた。 日本では、1960年代の森永ヒ素ミルク中毒事件における森永乳業製品不買運動、1978年(昭和53年)に読売ジャイアンツがドラフト会議をボイコットした江川事件などが知られる。また、東北地方などでは1988年(昭和63年)、時のサントリー社長・佐治敬三による東北熊襲発言に抗議し、サントリー製品のボイコットが展開された。2002年(平成14年)から、音楽著作権保護を名目に導入が開始された「コピーコントロールCD」から反発する形でCCCD購入ボイコットが発生した。2007年(平成19年)頃から、六ヶ所村核燃料再処理施設による放射能汚染の危険性と、受け入れた地元への抗議を訴えるため、坂本龍一らによるSTOP ROKKASHOが、青森県、岩手県の産品の不買運動を展開している。 2010年(平成22年)12月8日、東京都青少年健全育成条例改正問題に関連し、角川書店の社長、井上伸一郎がTwitterにて「東京国際アニメフェアへの出展を取りやめる」と表明。12月10日には、コミック10社会に加盟する各社も追随している。なお角川書店らは、2011年の国際アニメフェアと同日に対抗イベントとして「アニメ コンテンツ エキスポを開催する」ことにしていたが、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震発生により、両イベントとも中止となった。 大韓民国では、日本がワッセナー・アレンジメントでのキャッチオール規制で、貿易の輸出優遇措置を受けられる「ホワイト国」の対象国から、大韓民国を除外する外国為替及び外国貿易法の輸出貿易管理令改正を、安倍内閣が閣議決定したことに反発して、日本製品の不買運動が起きた。 2020年8月、黒人男性が警察官に撃たれるジェイコブ・ブレークへの銃撃事件が発生。事件に抗議する動きがアメリカのプロスポーツ界に広がり、バスケットボール、野球、テニスなどで試合のボイコットが発生した。
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