批評家レビュー
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東映は本作公開と同じ1980年の夏、『二百三高地』を公開し、1982年に『大日本帝国』と『FUTURE WAR 198X年』を公開、戦争映画の右傾化が大きな問題になった。山田和夫は、右傾化戦争映画の始まりとして『動乱』を挙げ、「戦争映画といえないかも知れませんが『動乱』は高倉健、吉永小百合という人気スターを主役にして、戦争に向かう日本の歴史というものを大きく歪めた映画として登場してきました。つまり、日本全体を侵略戦争に突っ走らせようとした軍国主義者、ファシストの行動を美化し、愛国者であるかのごとく描いたわけです。それはその年屈指の大作として作られ、愛のドラマとして大宣伝されました。そのため、従来その手の軍隊ものとか戦争映画には寄り付かなかった若い女性層も集めることに成功しました。『動乱』は若い世代の人たちが現代史についての知識に乏しく、学校でもほとんど教えられていない現状に付け込み、誤った歴史の見方を持ち込んできたのです。作り方、宣伝の仕方、歴史の知らない若い年齢層をターゲットにしていることなど、色々な意味で『動乱』はその後の流れを典型的に打ち出した最初の作品といえます」などと論じている。 藤原彰は、「『動乱』は映画の中で戦争を美化し、歴史を偽造しようとすることが本格的にすすめられるようになった最初の映画だと思います。しかもそのやり方は、かつての新東宝のような剥き出しの軍国調ではなく、もっと巧妙です。一見したところ、戦争に疑問を投げかける言辞が出てきたり、悲惨な面にも目を向けたりしながら、戦争を知らない若い人たちの情感に働きかけるという手の込んだやり方をやっています。『動乱』は基本的な問題で大きな歴史の偽造をしています。何よりも反動的なクーデターであった二・二六事件が美化されています。映画では社会の不正を憤った青年将校たちが、貧しい農民の救済のために起き上がったという描き方をしていますが、しかし事件に参加した多くは、将軍の息子たちで、その他の人も軍内のエリートです。農民とは誰も関係がありません。実際は戦争準備の不十分さに苛立った軍人の立場から、より積極的に侵略戦争を進めていこうとする焦りの現れた右翼クーデターです。そういう事件を、まるで純情な青年将校の正義の決起のように描くのは基本的に間違っています。澤地久枝さんの『妻たちの二・二六事件』にも書かれていますが、青年将校たちは蜂起する一週間前に結婚した人や、事件の直前に結婚した人が多いんです。そういう一人の女性の運命を狂わせることに人間的な考慮を払わない、女性に対して優越感、蔑視感を持つ大変思い上がった人間を悲しい愛の物語に仕立て上げ、国家が軍備拡張に熱心でないと批判する青年将校たちの行動を美化して見せる映画です」などと論じている。 増当竜也は「森谷の演出は熟練のスタッフたちの手助けもあって、技術的には申し分ないが、ポイントの定まらない脚本が全てを決定した」などと評している。 山根貞男は、「錯誤極まりない。クライマックスの二・二六事件の描写がまるでなっていない。二・二六事件の具体的推移など、さっぱり分からない。いや、これは二・二六事件映画ではなく、男と女の愛を描く映画だと作者はいうかもしれない。だが、そのとき、メロドラマたることが隠れ蓑になってはしないか。ちゃんとしたメロドラマ映画であるためには、それの背景たる激動の時代、二・二六事件などの推移を描き出すべきではなかったか。実際、この映画はメロドラマとしても面白くない」などと評している。 白井佳夫は、「『冬の華』『幸福の黄色いハンカチ』といった映画の高倉健は、シナリオが彼の寡黙な個性を上手く引き出すように書かれ、監督が彼の一種無骨な役者としての個性を魅力的に生かすような工夫を凝らしていたので、とてもユニークな人間味をスクリーンから発散させた。しかし、この人はしどころのない役で、スクリーンの中に登場させてしまうと、小細工の芝居の似合わぬ人なので、そのおおらかで素朴な個性が、まったく生きてこなくなってしまうことになる。二・二六事件という時代背景を描くドラマの構成が、何とも時代遅れの古めかしいパターンで一貫されていて、辟易させられてしまう上に、男と女の愛が、これまた現代の目で見ると絵空事にしか見えない、大時代なロマンチシズムで空転してしまっているので、健さんの魅力というものは、いっこうにスクリーンにクローズアップされてこないのである。工夫も細工もないシナリオと演出にのって高倉健と吉永小百合が呼吸を合わせて芝居に一生懸命になればなるほど、ただでさえ一本調子の作品のテンポが、さらにスローにペースダウンしてしまう。テレビドラマや外国映画の速いテンポやリズムになれた日本の観客たちは、このスローなテンポには、イライラしてしまうのではないだろうか。スリルもサスペンスも出てこない、いささか困った超大作で、正直に書くと、'80年の日本映画ワースト10にでも入りそうな映画である。大衆娯楽作りにおいて日本の映画会社の中で一頭地を抜いていた東映は、いまやどうなっているのだろう?という思いがしてくるのは、私だけではないはずである。ご同業映画評論家諸氏の中には、危機にある東映映画の同情心からか、『動乱』を絶賛なさった方もおられるが、そんな同情は東映のためにならない」などと評している。
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批評家レビュー
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作品的に高く評価された。竹入栄二郎は「元歌手の萩原健一、現歌手の小柳ルミ子が根っこからの俳優を喰った。日本アカデミー賞でも武田鉄矢、いしだあゆみ、泉谷しげるらミュージシャンが目立つ演技をして優秀賞をもらっている。こうだから、映画会社の俳優づくりはますます退化していく。小柳は最近ヒット曲が出なかったから、突如映画で演技賞をモノにするから驚く。小柳を起用したプロデューサーの目も確かだったが、それに応えた小柳も本業がイマイチだったから余計に目立つ」などと評した。 鬼頭麟平は「誘拐犯夫婦の愛憎、屈折した感情、動揺する心など、原作には書かれていないフィクショナルな部分を脚色で上手く掘り下げ、よくある"事件もの"以上の人間ドラマに仕上げた。伊藤監督は『スクリーンに一つの"魔"を跳梁させてこそ映画だ』とどこかで語っていたと記憶するが、『誘拐報道』は確かに人間の"魔"を感じさせる作品だった」などと評した。
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