戦闘経過と結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 15:55 UTC 版)
11月30日(出典) 7時30分 1機のB-25に発見され、1時間ほど触接を受ける。 12時30分 田中少将は「今夜会敵ノの算大ナリ、会敵時ハ揚陸ニ拘泥スルコトナク敵撃滅ニ努メヨ」と発令。 16時45分 第2警戒航行序列に変更、警戒隊《高波》、第一輸送隊《親潮、黒潮、陽炎、巻波》、警戒隊《長波》、第二輸送隊《江風、涼風》の順に各艦距離600mを開けての単縦陣を形成。 19時40分 増援部隊はタサファロング岬の近海に到達。 20時00分 高波が前路警戒のため部隊から分離し先行する。ガダルカナル沖合の天候は晴れ、北東の風4メートル、視程10キロメートル、月齢21.4(ほぼ半月)とかなり見通しのいい夜であった。 各輸送部隊は揚陸準備の為、速度を21ktから減速しつつドラム缶の投入準備を開始。 21時06分 アメリカ艦隊が日本艦隊を発見する。ライト部隊の旗艦・重巡ミネアポリスのレーダーが前方20キロメートルに日本艦隊の隊列を探知。ライト少将は攻撃をかけるべく平行反航態勢にアメリカ艦隊の針路を設定し直ちに攻撃態勢をとった。 21時12分 単艦で前路警戒についていた高波の見張員が左45度、距離6000メートルに敵駆逐艦を発見。直ちに高波から日本艦隊へ「敵発見」の緊急警報が発せられたが、距離的に近すぎ、揚陸準備に入っていた日本軍としてはほぼ奇襲を受けた形になった。高波は艦長小倉正身中佐が即座に「左砲雷同時戦」の命令を下し襲撃運動に入った。 黒潮の見張り員も21時13分に敵艦隊を発見したが、本来の輸送任務を優先してアメリカ艦隊をやり過ごそうとしていた。しかし、アメリカ艦隊の動きは明らかに輸送隊に対しての攻撃運動であることが見張員の報告から明らかになる。 21時15~16分 高波より引き続き「敵駆逐艦7隻見ゆ」の報が届く。田中少将は揚陸は不可能と判断、21時16分に麾下部隊に対し「揚陸止め! 戦闘、全軍突撃せよ」との命令を下す。 各艦は直ちにドラム缶を固縛しなおし、固縛が間に合わなかったものや、魚雷発射の邪魔になるドラム缶は海中投棄して、増速しつつ魚雷の起動弁を開いて襲撃運動に入った。 21時20分 ライト少将は前衛部隊の駆逐艦4隻に攻撃開始を許可する。この時点で高波は前衛部隊の魚雷の射界から外れており、代わりに輸送隊に対してレーダー照準で魚雷を計20本発射する。しかしこれらの魚雷は距離が遠すぎて届かなかったり、あらぬ方向に走っていったりと1本も命中しなかった。魚雷発射直後からは巡洋艦部隊による距離9000メートルでの砲撃を開始。その全てが一番アメリカ艦隊に接近していた高波への砲撃であった。 敵艦隊の猛烈な砲撃を受けた高波ではあったが、果敢にも反撃に転ずる。21時27分頃、主砲による初弾が敵駆逐艦に命中、更に第2斉射も別の敵駆逐艦に命中した。両艦は火災となり、この火災の明かりがアメリカ艦隊をくっきりと浮かび上がらせることになった。高波は魚雷8本を発射したが、直後に一番・二番連管に立て続けに被弾し、更に缶室にも被弾し航行不能となる。この後50発以上の砲弾を浴びて艦橋、主砲は全滅、洋上に停止し炎上することとなった。 21時23分 高波が集中攻撃を浴びている間に輸送隊は態勢を立て直していた。まず旗艦長波が敵巡洋艦に4000mまで接近した後、砲撃を開始すると共に煙幕を展開、これに涼風も続く。 21時28分 第一輸送隊の駆逐艦4隻は第十五駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐に率いられ、一旦アメリカ艦隊をやり過ごすために東進してから右反転。ここで陽炎と巻波が前続艦を見失って分離する。 黒潮と親潮は敵艦隊の左舷後方からじっくり狙い、29分に親潮が魚雷を8本発射すると黒潮も魚雷8本を3回に分けて発射する。 21時32分 長波は敵砲撃を受けつつ射点を捉えて魚雷を8本発射すると右反転、続く第二輸送隊の江風、涼風も魚雷を8本発射すると左反転、長波を追うように避退する。 21時52分 陽炎と巻波は黒潮に続航していたが黒潮を見失い逸れてしまう。その後発見した別目標に対して魚雷を発射し戦場を離脱していった。 21時27分以後の米艦隊 戦場離脱を図った日本軍を尻目にアメリカ艦隊は高波に集中砲撃を浴びせ続けていた。そこへ日本軍の魚雷が次々と接近、巡洋艦部隊に命中して大混乱となる。日本軍のどの艦の発射した魚雷がどのアメリカ艦に命中したのかは、日本軍の発射本数が多くまた時間も重複したため、一部を除き明らかではないが、とにかくこれでアメリカ軍巡洋艦部隊は壊滅的被害を受けた。 最初に命中したのは一番艦の重巡ミネアポリスだった。21時27分に艦首に2本被雷、艦首が第一砲塔直前から垂れ下がって、速力が急速に低下して戦列を離脱する。 二番艦の重巡ニューオーリンズは、速力低下を起こした旗艦を回避しようと面舵を取った直後に左舷前部に魚雷が1本命中した。これが第一砲塔弾薬庫を誘爆させて二番砲塔前部から艦首が切断し、ニューオーリンズの艦尾にいた水兵が沈没していくミネアポリスとすれ違ったと思い、よくよく見てみると40メートル近くも切断された自艦の艦首部が流れていくところだったという証言も残っている。同艦は速力が5ktまで低下し、この後必死の戦場離脱を図ることとなる。 三番艦の重巡ペンサコラはミネアポリスを避けるため取舵をとったが21時39分に被雷。艦橋直下に命中した1本の魚雷により重油タンクに火がついた同艦は大火災を起こしたが、主砲電路と共に消防主管も破壊されたために消火活動も出来ずにこの艦もまた戦場離脱を図ることとなった。 四番艦の軽巡ホノルルは被雷せず、前の3艦を避けて艦隊右前方に進出して避退していく日本軍に対して砲撃を仕掛けたが、1発も命中しなかった。 五番艦の重巡ノーザンプトンはホノルルのような幸運は巡ってこなかった。第一輸送隊からはぐれて2艦のみで追撃してきた陽炎と巻波が攻撃した別目標はノーザンプトンだった。23時47分、ノーザンプトンの左舷後部に2本命中し、機関室に大穴をあけられたノーザンプトンはたちまち航行不能となり、左舷に急速に傾斜すると転覆、日付が改まった12月1日3時4分に艦尾から沈んでいった。 アメリカ軍駆逐艦部隊は前衛として4隻、後衛として2隻いたが、巡洋艦部隊が壊滅していくのを見て戦場を離脱していった。 22時25分 日本駆逐艦は高波を除いて全て戦場を離脱しており、アメリカ艦隊も無事な艦は一旦戦場を離脱していた。戦場に残されていたのは炎上し続けていた高波と深刻な損傷を受けたアメリカ軍重巡3隻のみであった。田中少将は輸送部隊がサボ島西方海面まで離脱した後、高波の位置に一番近い第十五駆逐隊に生存者の救出を命令、黒潮、親潮は戦闘海域へ引き返す。 23時00分 高波を発見した黒潮と親潮は直ちに救助作業を始めたが、23時21分に見張員が距離3000メートルにアメリカ軍重巡を発見。魚雷を撃ちつくした駆逐艦2隻では重巡と勝負にならないので、やむなく両艦は生存者救助を打ち切って戦場を離脱した。このアメリカ軍巡洋艦は高波に500メートルまで接近したが、何もせずにそのまま離れていったという。この巡洋艦は主砲電路を断たれたペンサコラであったといわれている。 23時30分頃 高波は急速に傾いたために生存者は次々と海に飛び込み退去したが、その直後にアメリカ軍駆逐艦が接近して高波に魚雷を発射、このうち1本が高波に命中して沈んだ。この際、搭載爆雷が誘爆して付近を泳いでいた生存者が次々と圧死した。さらに高波から流出していた重油に引火して火災となり、相当数の戦死者を出すこととなった。結局、ガダルカナルの日本軍基地までたどり着いた生存者は准士官以上4名、下士官兵29名のわずか33名であった。
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