後方支援部門とは? わかりやすく解説

後方支援部門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:10 UTC 版)

大陸軍 (フランス)」の記事における「後方支援部門」の解説

輜重兵 ナポレオン語録中でもよく引用される言葉は「軍隊は胃で行進する生き物」である。このことは軍隊兵站重要性明確に表したのである大陸軍部隊各人4日分の食料与えられていた。これに従う荷車には8日分が積まれていたが、これは緊急時にのみ消費されるのだったナポレオン兵士達狩猟採集食糧徴発略奪La Maraude)で日々暮らしていくことを勧めていた。 補給物資作戦開始前に建設しておいた前進基地倉庫蓄えられた。これらの物資軍隊前進するにつれ前方移動された。大陸軍補給基地から軍団師団補給庫に物資配られ、そこから旅団連隊輜重部隊配られ各部隊には狩猟採集の量を補うだけの食料配られた。狩猟採集対す依存度は政治的な圧力で決まることがあった。友好的な国の領土通過するときは、「その国が供給するもので食っていけ」といわれたが、中立立場をとる国を通過するときは、補給の問題生じた大陸軍が5週間渡って1日15マイル(24km)の速さ行軍することを可能にしたのは、上記のような計画よるもの半分行き当たりばったり半分兵站であった兵站のしくみを助けたのがこれも技術的な革新であり、例えニコラ・アペール発明した今日缶詰につながる保存食技術であった医療関係者 医療関係者ほど栄光とも権威とも関係の薄い部門無かったが、彼らは戦闘後恐ろしい光景対処する必要があった。あらゆる旅団師団軍団にはそれぞれの医療関係者がおり、衛生兵負傷者を見つけて運び看護兵は介護看護行い、他に薬剤師医師外科医がいた。これらの医療関係者には、しばしば訓練足りない者や不適切な者がいて他の仕事担当する部隊もあった。大陸軍医療の状態は、当時あらゆる軍隊同じく原始的なものであった戦闘よりも負傷病気で死ぬ者の方が多かった衛生抗生物質に関する知識無かった外科施療といえばそれは切断であった麻酔とは、強いアルコール飲ませること、あるいは時によって患者殴って意識失わせることであった。大体手術受けた患者3分の1しか生き残れなかった。 ナポレオン戦争の間、軍隊医療技術施療技術大きな進歩を生まなかったが、大陸軍では医療関係者組織化では改善恩恵受けた外科将軍のドミニック・ジャン・ラリー(フランス語版英語版男爵の提唱になるいわゆる空飛ぶ救急システムである。戦場フランス軍空飛ぶ砲兵隊が行っているその移動速度観察したラリー将軍は、これを負傷者迅速に運び訓練され御者衛生兵担架運搬要員のいる馬車乗せる仕組み置き換えた。これは現代軍事救急システム先駆けであり、続く数十年間世界中軍隊によって採用されることになったラリー移動力上げ野戦病院組織改善することにより、現代移動陸軍外科病院原型作った負傷者苦難についての証言を読むと恐ろしいものがある。ナポレオン自身も「死ぬよりも苦痛耐える方が勇気がいる」と言ったことがあった。彼は生き残った者達にフランス中でも最善病院静養できるような保証与えた。さらに傷痍軍人英雄として扱われ勲章授与され恩給必要ならば義肢与えられた。負傷者迅速に世話され栄誉与えられ帰郷後の面倒を見られることが知れ渡ると、大陸軍の中の士気高揚し戦闘能力上げることにもなった。 情報通信 以下に述べ情報通信は、確かに少なからぬ基本的支援業務であった。ほとんどの命令は、それまでの数世紀同様に馬に乗った伝令によって運ばれた。騎兵はその勇敢さ騎馬技術によってこの任務課されることが多かった短距離戦術的な信号視覚的には旗で、聴覚的にドラム軍隊ラッパトランペット、など楽器伝えられた。これらの旗手楽器奏者象徴的儀式的、また士気上げ機能加えて重要な情報通信役割果たした大陸軍フランス革命の間には長距離情報通信手段革新的なものを得られなかった。フランス軍大規模かつ組織的な形で伝書鳩伝令採用し、また観測熱気球偵察通信用いた最初軍隊である。しかしクロード・シャップによって発明され巧妙な光学的テレグラフ信号装置腕木通信)という形で長距離通信本当進歩得られた。 シャップの装置は、互いに目視できる距離に置いた小さな塔の入り組んだネットワークであった。塔は9mの高さがあり、その最頂部3本大きな木製の稼動棒(腕木)が取り付けられた。この棒はレギュレター(regulateur)と呼ばれプーリー梃子使って訓練され操作員によって操作された。腕木位置によって4つの意味があり、その組み合わせ196通り信号になった習熟した操作員がおり、悪くない視界保たれておれば、パリリール間193km(123マイル)にある15の塔を経由して、わずか9分間1つ信号を送ることができ、36信号から成る電文は約32分間送れた。パリからベニスの間でも、電文をわずか6時間で送ることができた。 シャップの腕木通信ナポレオンお気に入りのひとつになり、最も重要な秘密兵器となった。特別の携帯版腕木通信装置彼の作戦本部とともに移動させた。これを使ってナポレオン長距離でも敵よりもはるかに短い時間兵站軍隊戦略的調整を図ることができた。1812年には、荷車載せた装置による通信研究始められたが、戦争そのものには間に合わなかった。

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