昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱について(51大綱)
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このような情勢下で、三木内閣改造内閣は、ポスト4次防では期間計画方式から単年度計画方式に変更し5次防は策定しないとし、代わりに防衛計画の大綱を定めることとした。1976年(昭和51年)10月29日に「昭和52年度以降に係る防衛計画の大綱」が国防会議および閣議で決定され、坂田道太防衛庁長官が発表した。 これは、周辺国の軍事力に対応して所要の防衛力を整備していた従来の防衛力整備計画を改め、「平和時の防衛力の限界」の上限を示す必要最小限の防衛力、すなわち「基盤的防衛力」を明示するものだった。それまでの4次にわたる防衛力整備計画では正面装備に重点が置かれ、後方支援部門の整備は停滞したままであったためこれの是正や、世論及び経済情勢などを考慮して拡大し続ける防衛力に一定の目安を示す事となった。なお、これに対して制服組は有事即応の度合いが低下するとして不満があった。 また閣議決定の同日、経費に関する細部指針が決定され、これがGNP比1%枠となった。1977年(昭和52年)度から1979年(昭和54年)度までは単年度方式であったが、重視すべき事業に関して長期的視野に基づいた計画が求められ、防衛庁内に限る計画として1977年(昭和52年)4月に「防衛諸計画の作成等に関する訓令」が制定され、1980年(昭和55年)度以降に係る中期業務見積りが策定された。1985年(昭和60年)9月に中期業務見積りは中期防衛力整備計画として発展的解消し、防衛庁内に限る計画から政府の正式計画に格上げされた(後述)。 大綱は以下の6項目からなる。 目的・趣旨 平時においては「十分な警戒体制」をとり、有事においては「限定的かつ小規模な侵略」までに有効に対処しえるを目標にし、またその防衛力を持って「災害派遣等」を通じて民生安定に寄与するように配慮する。 国際情勢 防衛の構想 未然抑止については「いかなる態様の侵略にも対処しうる防衛体制」を構築し侵略を抑止、核兵器の脅威についてはアメリカ合衆国に依存するとした。 侵略対処については「極力早期にこれを排除する」とし、短期決戦・早期排除を日本防衛の戦略方針、軍事ドクトリンとした。 更に「限定的かつ小規模な侵略」に対しては独力排除を原則とし、それ以上の規模については「米国の協力」をもって排除するとし、独力では短期決戦、アメリカ共同では攻勢防御による早期排除をドクトリンとした。つまりアメリカ軍増援が到着するまでは自衛隊が一定期間持久することを前提としている。但し、アメリカ軍の到着が遅れた場合や二正面作戦になった場合「強靭な抵抗」をもって持久戦があり得ると想定した。 防衛の態勢 上記においての「限定的かつ小規模な侵略」に対処できる防衛力に必要な6つの態勢を明示。 「警戒のための態勢」 警戒監視、情報収集など 「間接侵略、軍事力を以ってする不法行為等に対する態勢」 ゲリラ・コマンド、騒擾および領空侵犯など 「直接侵略に対する態勢」 限定小規模侵略やそれ以上の規模 「指揮通信及び後方支援の態勢」 中央と各自衛隊の指揮通信システム、輸送や整備などの兵站活動など 「教育訓練の態勢」 自衛官の教育訓練や部隊練成など 「災害救援の態勢」 陸海空自衛隊の体制 上記の防衛の態勢を実現するための所要兵力、いわゆる「基盤的防衛力」を定めたもの。 防衛力整備上の方針
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