昭和50年代以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 03:27 UTC 版)
この節で述べる専門教育についての内容は、基本的に以下の節とは無関係である。日本における普通教育への「情報」の取り込みは(現場での接点はあっても)コンピュータ科学など専門教育との接点は極めて薄いまま進められた。 情報学やコンピュータ科学に関連する学術的な内容は、コンピュータ登場以前には、数学・論理学・物理学・電子工学・図書館学などといった分野に散在していた。1930年代には海外や日本でコンピュータの実現の基礎になった研究があり、世界大戦によるエレクトロニクスの進歩と基礎研究の途絶を挟んで、戦後には一斉にコンピュータの実現が進んだ。1950年代にはコンピュータの建造自体を研究対象として、日本でも建造されたコンピュータのうちのいくつかは大学の研究室によるものだった。1960年代に入るとメインフレームが大企業によって商業的に生産されるようになり、大学に「計算機センター」を設置して共用施設としての活用が進み、物理学の計算などが活発化する一方で、情報工学科の設置は1970年代以降になるなど専門教育の時点でも日本は後手に回っている。図書館情報学との関連で慶應の「図書館・情報学科」が比較的早く1968年である。1970年代以降は、多くの大学に情報工学科が設置されるなど、専門教育は本格化した。1980年代前半には広い範囲をカバーした叢書、岩波講座「情報科学」が出ている。 一方で1970年代には、コンピュータはまだ市民に一般的なものではなく、まず電卓の普及が先行した。電卓は、数の扱いについて適切な指導のもとに使えば良い教材ではあったのだがそもそもその指導者が学校現場にはいないといったことや、そろばん関係者による「そろばんは頭を良くする」といった主張のように現場からの敵視も強く、むしろそういった新規技術の排除のほうが見られることもあった。結果として、電卓からの派生から始まったマイクロプロセッサによる、1980年代以降のパーソナルコンピュータの普及によって、教育現場にまずコンピュータ支援教育(CAI)といった形でコンピュータが現れた後、(情報学の初歩を導入するというような主体的な態度というよりは)「情報化社会に対応する」であるとか「情報活用能力を育成する」ものとして、教育についての検討が進められた。なお近年はこれに加えて「モラル」が重視されつつある
※この「昭和50年代以前」の解説は、「情報教育」の解説の一部です。
「昭和50年代以前」を含む「情報教育」の記事については、「情報教育」の概要を参照ください。
- 昭和50年代以前のページへのリンク