昭和50年の法改正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:54 UTC 版)
「文化遺産保護制度」の記事における「昭和50年の法改正」の解説
1950年代から1960年代の高度経済成長時代には、都市化による町並みの変貌、農村での耕地景観の変貌、歴史的地名の消失など、後戻りのできない国土の改変が進んだ。それまで史跡の大部分は旧史蹟名勝天然紀念物保存法に基づいて戦前に指定された物件であったが、遺跡の破壊から保護する必要に迫られたことにより、年20件程度の新しい指定が行われるようになった。天然記念物もその約8割は戦前からの指定物件だったが、自然環境に著しい変化が生じたことから1967年(昭和42年)以降5年計画で天然記念物緊急調査が実施され、「全国植生図および主要動植物地図」が刊行された。埋蔵文化財については1950年代以降開発事業に伴う発掘が急増したため、1960年(昭和35年)から埋蔵文化財包蔵地の分布調査が行なわれ、全国で14万か所の所在が判明し、これに基づいて1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)にかけて全国遺跡地図が刊行された。町並みなどの伝統的景観の保存の動きは国よりも地方が先行し、ヨーロッパの歴史的街区におけるファサード保存の手法も参考として金沢市、倉敷市、萩市など9市町で保護条例が制定された。 こうした中で文化遺産保護制度に関しても様々な問題が提起され、1975年(昭和50年)の文化財保護法の大きな改正として結実した。主な改正点は次の通りである。民俗資料という呼称が民俗文化財に改められ、重要民俗資料は重要有形民俗文化財と呼称されるとともに、新たに無形の民俗文化財について重要無形民俗文化財の指定制度が設けられた。伝統的建造物群に関しては重要伝統的建造物群保存地区の制度が創設され、周囲の環境と一体となって歴史的価値を形成している建造物群が文化財として位置付けられた。重要文化財等が国の指定によるとされているのに対し、市町村が都市計画または条例で伝統的建造物群保存地区を決定し、国がそれを重要伝統的建造物群保存地区として選定するという形に特色がある。また、文化遺産の修理を行うために必要となる伝統的技術を選定保存技術として選定し、保持者を認定する制度が新設された。
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