平和遺族会全国連絡会
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平和遺族会全国連絡会(へいわいぞくかいぜんこくれんらくかい)は、靖国神社への公式参拝を是とすることを初めとする日本遺族会のあり方に反対する日本の戦没者遺族たちにより、北海道から沖縄まで全国各地に組織された「平和遺族会」[1][2][注 1]の取りまとめ組織。
注釈
- ^ 2011年8月8日付け『解放新聞』紙上に於いては「北海道から沖縄まで14の平和遺族会の連絡会」と伝えている[3]。
- ^ 小川が当連絡会代表として在りし頃には事務局長を務め、35年間にわたり小川を支えてきた[2]。
- ^ 「反靖国連帯会議」を立ち上げた西本願寺派の若手僧侶達は、以後、靖国神社公式参拝や同”国営化”に反対する活動を展開させていった。その過程で、既に旭川などで組織されていた平和遺族会群と交流を深めていったという。そして、「連帯会議」立ち上げから約1年半経過した1986年1月22日に京都市内で全国集会を開き、真宗十派に向けて「真宗門徒として政治利用されず平和を願う真宗遺族会の結成を進める」とのアピールを採択、「真宗遺族会」発足に至った[6]。以後、21世紀に入ってからも真宗遺族会の幹部が当連絡会主催の集会に客員参加するなど、時折行動を共にしている[8][9]。
- ^ 1937年(昭和12年)のこの日に日中戦争(支那事変)の端緒をつくった盧溝橋事件が発生したとされている。当連絡会がこの日を発足日として選ぶにあたり、「二度とアジアの人々を敵視し、平然と何の罪もない民衆を殺すようなことをしてはならないと思う。日本の政府が再び戦争の惨禍をもたらすことがないように最善の努力を払いたいと願う。」との結成宣言を発表している[10]。
- ^ 西川の当連絡会”代表”への正確な就任時期については明らかにされていない模様であるが、西川自身の当連絡会の一員としての行動から拾ってみると、2003年(平成15年)1月15日に実施された「国会前緊急行動」に参加した際には、前代表の小川が存命だったことから”事務局長”の立場であった[11]ことは勿論であるが、小川が死去した翌年2004年(平成16年)から2005年(平成17年)にかけて行われた731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟の控訴審に際して2004年7月20日に弁護士会館で開かれた控訴審第6回公判報告会・講演会ならびに同年10月30日になかのZEROホールで開かれた集会『集会「あぶない日中関係-戦争責任と日中友好-』に参加した際にも”事務局長”とされていた[12]。それが、2005年1月に長谷川ひでのり著『石原知事に挑戦状-とめよう戦争教育・うばうな介護』(星雲社)に絡む鼎談で著者・長谷川らと共に参加した際には”代表”とされていた[13]ほか、2006年8月15日に開かれた当連絡会主催の集会「アジアと共に生きる日本を」に於いても”代表”として基調報告を行っているのが見える[14]。
出典
- ^ 田原拓治 (2005年9月6日). “日本遺族会 戦後60年 曲がり角に”. 東京新聞. オリジナルの2005年11月11日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。 ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ a b c d e f g 田中洋一 (2004年2月2日). “脱走兵かくまった元軍医~平和遺族会全国連絡会代表・小川武満さん”. 朝日新聞・夕刊. オリジナルの2015年10月18日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》 ※ 『NPO法人731部隊・細菌戦資料センター』Webサイト内に掲載《当該新聞記事部分の切り抜き実物画像を掲載;但し現行の当該Webサイト・トップページからは接続されていない模様(孤立状態)》
- ^ a b “共生の方向探る~平和遺族会が25周年”. 解放新聞 (解放新聞社(部落解放同盟関連)). (2011年8月8日). オリジナルの2015年10月18日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “天皇の戦争責任追及こそ遺族の役目~平和遺族会・小川武満会長に聞く”. 労働新聞のページ. 日本労働党中央委員会 (1999年6月25日). 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “平和遺族会全国連絡会「憲法を活かし、アジアの平和と和解・共生をめざそう」”. 『人民新報』第1207・08号. 人民新報社(労働者社会主義同盟) (2006年8月28日). 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。《》
- ^ a b c d e f g h i 法政大学大原社会問題研究所(編著) (1987年6月25日). “1-7.その他の社会運動”. 日本労働年鑑 第57集 1987年版. 労働旬報社(現・旬報社). 2014年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。 “第四部 労働組合と政治・社会運動~II 社会運動の動向>1.平和・社会運動~7.その他の社会運動”《》
- ^ “戦後70年と9・18集会 靖国神社問題とは何か──その本質を問う(告知チラシ)” (PDF). 日本キリスト教婦人矯風会 (2015年9月26日). 2015年10月24日閲覧。《→アーカイブ (PDF) 》
- ^ “小泉首相は靖国公式参拝を中止せよ 戦没者遺児が小泉首相に直言する集い 「合祀抹消へ闘う」と韓国人遺族が訴え”. 週刊『統一の旗』(現・週刊MDS新聞) (民主主義的社会主義運動(MDS)). (2001年7月20日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “解決するまで頑張っていきたい アジア反靖国遺族共同行動 戦後補償解決の年に”. 週刊MDS新聞 (民主主義的社会主義運動(MDS)). (2005年3月25日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “「改憲を阻止しよう!憲法を活かして平和を創ろう!」集会に参加して”. とめよう戦争への道!百万人署名運動. 百万人署名運動 (2012年7月13日). 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “戦争賛美の靖国参拝~遺族、宗教者が首相に抗議”. しんぶん赤旗 (日本共産党中央委員会). (2003年1月16日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “第二審(控訴審)トピックス~裁判日のドキュメント【写真集①】”. 731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟. NPO法人 731部隊・細菌戦資料センター. 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “石原知事に挑戦状 第1部 鼎談(ていだん)”. book. 都政を革新する会(都革新) (2005年1月). 2015年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “終戦記念日の小泉靖国参拝 思想攻撃との闘い発展”. 労働新聞 (日本労働党中央委員会). (2006年8月25日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ “戦争犠牲者を追悼~平和を誓う8・15集会で”. 解放新聞 (解放新聞社(部落解放同盟関連)). (2014年9月1日). オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- ^ 新庄れい麻 (2015年8月15日). “平和遺族会8・15集会「安保法制を廃案に、再び遺族つくらせない」 憲法学者の木村草太氏らが講演”. クリスチャントゥデイ. オリジナルの2015年10月23日時点におけるアーカイブ。 2015年10月24日閲覧。《》
- 1 平和遺族会全国連絡会とは
- 2 平和遺族会全国連絡会の概要
- 3 編纂書籍
- 4 脚注
- 平和遺族会全国連絡会のページへのリンク