対米覚書 ― ハル・ノートへの回答とは? わかりやすく解説

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対米覚書 ― ハル・ノートへの回答

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)

日米交渉」の記事における「対米覚書 ― ハル・ノートへの回答」の解説

現地ハワイ時間1941年12月7日午前7時50分ワシントン時間午後1時20分、日本時間12月8日午前3時20分)、真珠湾攻撃開始された。 ワシントン時間12月7日午後2時20分、野村大使からハル国務長官対米覚書外交打ち切り通告文)が手交された。東郷外相訓令には「午後一時を期し米側に(成るべく国務長官に)貴大使より直接御手交あり度し」とあったが、結果的にハワイ空襲一時間の手となった対米覚書は、ハル・ノート対す帝国政府見解ともなっており、 ハル四原則採択日本に迫るのは「現実無視し一国独善的主張相手国に強要する如き態度」で交渉成立促進するものではないこと 第二項1の多辺的不可侵条約は「徒に集団的平和機構の旧構想追ふ結果東亜実情遊離せるもの」であること 第二項9については「合衆国欧州戦争参入場合に於ける帝国三国条約上の義務履行牽制せんとする意図をもって提案せるものと認めらるる」ため受諾できないこと 第二項2は「東亜事態紛糾導きたる最大原因の一たる九国条約類似の体制を、新たに仏領印度支那拡張せんとするもの」で容認できないこと 支那中国)からの全面撤兵及び通商無差別原則無条件適用は「何れも支那現実無視し東亜安定勢力たる帝国地位殲滅せんとするもの」であり、南京政府否認は「交渉基礎根底より覆すものといふべく」、アメリカ日中和平及び東亜の平和回復阻害する意思があることを実証していること などの難点挙げ、「四年有余亙る支那事変犠牲無視し帝国生存脅威し、権威冒涜するものあり。従って全体的に観て帝国政府としては、交渉基礎として到底之を受諾するを得ざるを遺憾とす」としている。 また、日本の乙案に対すアメリカの対応については、「合衆国政府は右新提案受諾する得ず為せるのみならず、援蔣行為継続する意思表明し、(大統領日支和平仲介者となると言明したにも拘らず大統領所謂日支和平紹介を行ふの時機熟せずとて之を撤回し遂に11月26日至り偏に合衆国政府従来固執せる原則強要する態度をもって帝国政府主張無視せる提案為す至りたるが、右は帝国政府の最も遺憾とする所なり」と非難した。 なお、対米覚書には、日露戦争の際にあった独立行動を採る」に相当する文言はなく、開戦宣言あるいは条件付き開戦宣言明記していない。また、対米覚書国内においても閣議決定上奏裁可の手続き経ておらず、「国際法上の『開戦宣言』とはなりえず、…国内的措置形式からいっても敵対国への最後通牒ではなかった」。 翌8日ルーズベルト大統領日本への宣戦布告求め議会演説恥辱の日演説」を行った演説では、日本太平洋平和について交渉進めていたとしているが、ハル・ノート存在議会説明しなかった。 日米開戦が即アメリカヨーロッパ戦線への参戦意味するわけではなく独ソ戦日本参戦しなかったように三国軍事同盟規定では、加盟国側から仕掛けた戦争に関しては他の加盟国参戦義務発生しなかった。ハル回想によればアメリカが他の枢軸国に対して宣戦布告をするかどうかについて議論があったというが、ドイツの方から宣戦してくると考えて、それを待つ方針固めたという。ヒトラー真珠湾攻撃以前から既に対米開戦不可避判断しており、12月11日日本呼応する形でアメリカに対して宣戦布告行ったこのためアメリカヨーロッパ・アフリカ戦線参戦することとなった現在の研究では、日米間には戦争をしてまで解決しなければならない明確な争点はなかったことが指摘されている。日本米英経済封鎖受けて窮地にあったものの、世界情勢自主的に判断して自主的に行動できる自由をもっていたのである戦争の結果踏まえると、「日米交渉不成立によりただちに日本開戦しなければならないというのは、あまりにも短絡的な思考であった。 なお、陸軍一部ではあるが、ハル・ノート事実上受け入れ主張されるようになったのは、日独戦局が不利へと転換した1943年のことであった戦争指導9月16日案出大東亜戦争終末方策」。別紙第三の「世界終戦の為不利な妥協をするを得さる場合講和条件(対英米)」には、ハル四原則承認三国同盟破棄中国について支那事変以前の状態へ復帰仏印以南東南アジア地域については仏印進駐前の状態へ復帰などが明記されている)。

※この「対米覚書 ― ハル・ノートへの回答」の解説は、「日米交渉」の解説の一部です。
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