対米覚書 ― ハル・ノートへの回答
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「日米交渉」の記事における「対米覚書 ― ハル・ノートへの回答」の解説
現地ハワイ時間1941年12月7日午前7時50分(ワシントン時間午後1時20分、日本時間12月8日午前3時20分)、真珠湾攻撃が開始された。 ワシントン時間12月7日午後2時20分、野村大使からハル国務長官に対米覚書(外交打ち切り通告文)が手交された。東郷外相の訓令には「午後一時を期し米側に(成るべく国務長官に)貴大使より直接御手交あり度し」とあったが、結果的にハワイ空襲の一時間後の手交となった。 対米覚書は、ハル・ノートに対する帝国政府見解ともなっており、 ハル四原則の採択を日本に迫るのは「現実を無視し一国の独善的主張を相手国に強要するが如き態度」で交渉の成立を促進するものではないこと 第二項1の多辺的不可侵条約は「徒に集団的平和機構の旧構想を追ふの結果、東亜の実情と遊離せるもの」であること 第二項9については「合衆国が欧州戦争参入の場合に於ける帝国の三国条約上の義務履行を牽制せんとする意図をもって提案せるものと認めらるる」ため受諾できないこと 第二項2は「東亜の事態を紛糾に導きたる最大原因の一たる九国条約類似の体制を、新たに仏領印度支那に拡張せんとするもの」で容認できないこと 支那(中国)からの全面撤兵及び通商無差別原則の無条件適用は「何れも支那の現実を無視し、東亜の安定勢力たる帝国の地位を殲滅せんとするもの」であり、南京政府否認は「交渉の基礎を根底より覆すものといふべく」、アメリカが日中和平及び東亜の平和回復を阻害する意思があることを実証していること などの難点を挙げ、「四年有余に亙る支那事変の犠牲を無視し、帝国の生存を脅威し、権威を冒涜するものあり。従って全体的に観て帝国政府としては、交渉の基礎として到底之を受諾するを得ざるを遺憾とす」としている。 また、日本の乙案に対するアメリカの対応については、「合衆国政府は右新提案を受諾するを得ずと為せるのみならず、援蔣行為を継続する意思を表明し、(大統領が日支間和平の仲介者となると言明したにも拘らず)大統領の所謂日支間和平の紹介を行ふの時機猶熟せずとて之を撤回し、遂に11月26日に至り、偏に合衆国政府が従来固執せる原則を強要するの態度をもって、帝国政府の主張を無視せる提案を為すに至りたるが、右は帝国政府の最も遺憾とする所なり」と非難した。 なお、対米覚書には、日露戦争の際にあった「独立の行動を採る」に相当する文言はなく、開戦宣言あるいは条件付き開戦宣言は明記していない。また、対米覚書は国内においても閣議決定、上奏、裁可の手続きを経ておらず、「国際法上の『開戦宣言』とはなりえず、…国内的措置の形式からいっても敵対国への最後通牒ではなかった」。 翌8日、ルーズベルト大統領は日本への宣戦布告を求める議会演説「恥辱の日演説」を行った。演説では、日本と太平洋の平和について交渉を進めていたとしているが、ハル・ノートの存在は議会に説明しなかった。 日米開戦が即アメリカのヨーロッパ戦線への参戦を意味するわけではなく、独ソ戦に日本が参戦しなかったように三国軍事同盟の規定では、加盟国側から仕掛けた戦争に関しては他の加盟国の参戦義務は発生しなかった。ハルの回想によれば、アメリカが他の枢軸国に対しても宣戦布告をするかどうかについて議論があったというが、ドイツの方から宣戦してくると考えて、それを待つ方針を固めたという。ヒトラーは真珠湾攻撃以前から既に対米開戦は不可避と判断しており、12月11日に日本に呼応する形でアメリカに対して宣戦布告を行った。このため、アメリカはヨーロッパ・アフリカ戦線に参戦することとなった。 現在の研究では、日米間には戦争をしてまで解決しなければならない明確な争点はなかったことが指摘されている。日本は米英蘭の経済封鎖を受けて窮地にあったものの、世界情勢を自主的に判断して、自主的に行動できる自由をもっていたのである。戦争の結果も踏まえると、「日米交渉の不成立によりただちに日本が開戦しなければならないというのは、あまりにも短絡的な思考」であった。 なお、陸軍の一部ではあるが、ハル・ノートの事実上の受け入れが主張されるようになったのは、日独の戦局が不利へと転換した1943年のことであった(戦争指導課9月16日案出「大東亜戦争終末方策」。別紙第三の「世界終戦の為不利なる妥協をするを得さる場合の講和条件(対英米)」には、ハル四原則の承認、三国同盟の破棄、中国については支那事変以前の状態へ復帰、仏印以南の東南アジア地域については仏印進駐前の状態へ復帰などが明記されている)。
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