初期のシステム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:47 UTC 版)
爆弾の弾道の予測に必要な計算は全て、爆弾の弾道を示す計算表の助けを借りつつ手で行われた。しかし、こうした計算を実行する時間は些細なものではなかった。目視照準器の使用では、視力に基づいて目標を最初に照準した射程が固定されたまま残った。航空機の速度が増すと、最初の位置を決定した後に手で計算を実行し、機の飛行経路を修正して適正な投下位置に持っていくのに利用できる時間は短くなった。爆撃照準器の開発が初期段階にある間、問題は交戦時の機の安全運航範囲を差し支えないほどに低くすることで解決されていた。そうすることで、あまり重要ではない影響を計算する必要性を減らしたのである。例えば極めて低高度で投下する際には、落下中の抗力や風の影響は非常に小さくなり、これらを無視することができる。この場合では前進速度と高度のみがある程度の影響を持っていた。 こうした爆撃照準器の最初期の記録の一例が、1911年、アメリカ陸軍沿岸砲兵軍団所属のライリー・E・スコット中尉によって製作されている。これは機速と高度を入力する単純な装置で、機の翼に腹這いつつ携行するものだった。かなり試験を重ねた後、彼はこうした入力に用いる設定表を作りだすことができた。メリーランド州カレッジパークの試験で、スコットは2個の8.1kg爆弾を、1.2から1.5m大の標的の3m圏内に投下することができた。投下高度は約122mである。1912年1月、スコットはフランスのヴィラクブレー飛行場で開かれたミシュラン爆撃競技で第一位を収め、5,000ドルを手にした。成績は高度800mから15発を投下し、12発が125×375フィート(38.1×114.3m)の標的に命中した。 大戦に先立つスコットのような数少ない例があるにもかかわらず、第一次世界大戦の開戦段階の爆撃はいつも目視で行われ、状況が適切とみられる時に小型の爆弾を手で投下した。戦争中に航空機の投入と役割が増していくにつれ、より良い精度が必要となり、強く要求された。最初これは航空機の部品、桁やエンジンシリンダー、または爆弾の射程を測るため投下試験をした後で航空機の側面に書き込んだラインといったものを照準に使って達成された。こうしたものは低高度かつ固定目標に使うなら有用だったが、航空戦の性質が進化していくと、必要に伴ってこうした解決法も速やかに意味を失っていった。 より高い高度での爆撃では、風の影響と爆弾の弾道がもはや無視できないものとなっていた。ひとつ重要な簡易化は爆弾の終端速度の無視であり、また平均速度はフィートで測った高度の平方根として計算している。例としては3,048mから投下された爆弾は平均121.9m/sの率で落下するため、落下秒時を簡単に計算できる。残る要素は風速の計測であり、より一般的には対地速度の計測だった。普通、これは主に風の来る方向に航空機を飛ばし、次に地上物の動きを観測、残った風による横方向への偏流が無くなるまで飛行経路を左右へ修正して達成される。地上を飛んで過ぎる速度は、照準器越しに観測される所与の2つの角度間の、地上物の動きのタイミングで測られる。 最良の開発がなされ、実戦投入されたこうした照準器の一例には、ゴータ重爆撃機用に開発されたドイツ製のゲルツ爆撃照準器がある。ゲルツは回転式のプリズムを基部に組み込んだテレスコープを用い、これれにより照準器が前後に回転できた。機の側方への動きをゼロ規整したのち、照準器は予定の角度に調整され、それから地上物が航空機の直下に来るまでストップウオッチで測られる。これで対地速度が示され、これに地面に達するまでの時間を掛けたのち、照準器内部の照準点を射表で調べた角度に調整する。爆撃手は照準点をよぎるまで照準器内で目標を観測し、その後爆弾を投下する。同様の照準器はフランスやイングランドで開発され、ミシュランや中央航空学校のナンバーセブン爆撃照準器が特に評価される。有用さの一方で、これらの照準器は移動のタイミングを計る間、手間のかかる準備時間を必要とした。 基本的な概念に、ハリー・ウィンペリスによって大きな改変が導入された。彼は後のイングランドでのレーダー開発作業で知られている。1916年、彼は風速を直に測定する簡易なシステムを加えた偏流照準器を導入した。爆撃手は最初に高度と航空機の対気速度をダイアル入力する。そうすることで照準器右側面の金属製のバーが回転し、機の胴体から突き出す。爆撃行程の前に、爆撃機は爆撃航路に対して直角に飛び、また爆撃手は地上物の動きを観測するためにロッドの先を見やる。さらに彼は、動きがロッドにじかに沿うまで風速の設定を修正する。この動きで風速を測り、これに適切に対応する角度へと照準器を動かし、別の計算の必要性を省いている。のちには、高度とともに増す真対気速度と指示対気速度の間の差を計算する改修が加えられた。このバージョンは偏流照準器MK.1Aであり、ハンドレページO/400重爆撃機に導入された。派生型はアメリカ軍のエストピー爆撃照準器のように広く見られる。 これらの爆撃照準器はすべて問題を抱えており、飛行経路に沿う以外の、どの方向からの風にも対応できない。これは潜水艦や艦艇のような移動標的に対する爆撃照準器の有用性を使い物にならなくさせた。標的がたまたま風と同じ方向に航行することでも起こらない限り、標的が近づくと、その動きは爆撃機を風の吹き過ぎる方向に遠ざけていくこととなる。加えて、対空射撃が有効さを増すにつれて、兵員はしばしばこうした方位から攻撃が来るものと予知し、自分たちの護衛する目標物に風が吹いてくる方向へと銃砲をあらかじめ指向しておいた。横風での攻撃という解決法が切実に必要とされていた。
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