初期のサハラ交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 18:33 UTC 版)
タッシリ・ナジェール山脈には、2頭から4頭の馬に引かれた2輪の戦車の岩絵が描かれている。岩絵は1933年に発見され、サハラ各地に200以上が描かれていることが判明した。岩絵をもとに、古代から地中海からニジェール川にかけての交易路が存在するという仮説も立てられた。しかし荷物のようなものは見えず、戦闘用の馬車しか描かれていないため、交易とは関係がないとされている。1950年代以降の調査で、岩絵の様式がミケーネ文明の美術に似ているため紀元前1200年以後に描かれたという仮説や、ジブラルタル海峡を越えてヨーロッパからもたらされた馬であるとする仮説も出された。しかし岩絵をどのような者が描いたかは不明となっている。 古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは、著書『歴史』でリビュアについて記録している。砂漠の大地がテーベからヘラクレスの柱まで続き、堆積した塩と美味な水があると書いている。その地でカルタゴ人がリビュア人と金を交換したと記録しているが、これはモロッコ大西洋岸でありサハラの南北交易ではないとされている。
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