出場メーカーとは? わかりやすく解説

出場メーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/24 11:57 UTC 版)

1906年フランスグランプリ」の記事における「出場メーカー」の解説

グランプリで我々が勝てば世界フランス自動車ベストであることを知らしめることができるだろう。もし負けたとしても、それは単なる偶然であり、ライバルたち自国車の悪評挽回する機会与えてくれた我々のスポーツマンシップ感謝するべきだ。 『ザ・モーター』が引用した仏紙『ル・プティ・パリジャン』の主張 このレースにはフランスからオチキスルノーパナールなど10社の自動車メーカー参加したほか、イタリアからフィアットイターラ英語版)の2社が、ドイツからは1社(メルセデス)が参加した。ほとんどのメーカーが各3台の車を出場させ、総出台数34となった一方でイギリスおよびアメリカ自動車メーカー参加しなかった。イギリス人たちはこのイベントフランス自動車産業のためのプロパガンダとして利用されることを疑っており、イギリス自動車雑誌『ザ・モーター(英語版)』はフランス側スポーツマンシップ欠如していることの証拠として、フランス紙『ル・プティ・パリジャン(英語版)』の記述引用したACF出場車両に1,000キログラム (2,205 lb)の最大重量制限課した車両重量とは別に点火装置用のマグネトーまたはダイナモ重量として最大7キログラム (15 lb)が認められていた)。燃費にも規定があり、使用可能な燃料走行距離100キロ当たり最大30キログラム制限されていた。出場車は全車4気筒エンジン搭載していたが、エンジン排気量最小グレゴワール英語版)の7433 ccから、最大パナール1万8279 ccまで様々だった。排気によって路面からダスト舞い上がるのを避けるため、各車の排気管上方向けて伸ばされていた。 各チームタイヤ供給したのはミシュランダンロップコンチネンタルの3メーカーだった。ミシュランはこのグランプリに "jante amovible" と呼ばれる新型リムタイヤがあらかじめ取り付けてある着脱可能なリム)を持ち込みパンク時のタイヤ交換要する時間大幅に短縮したゴードン・ベネット・カップとは異なりグランプリではレース中、ドライバー同乗メカニック以外に競技車両触れることは許されなかったため、ミシュラン新型リム使用することは大きなアドバンテージになり得た旧来のタイヤ交換ではナイフで古いタイヤ切り離す必要があり、15分程度時間要したが、新型リム用いたタイヤ交換は4分以内完了することができた。フィアット車は4輪すべてに新型リム使用したルノー車と2台のクレメント・バイヤード車は後輪にのみ新型リム使用した新型リム1つにつき、通常のリム比べて9キログラム (20 lb)の重量追加された。イターラパナールなどの車両最大重量制限超過するため新型リム使用できなかった。 イベント名にはフランス語で「大賞」を意味するグランプリ (Grand Prix)」の語が使われたが、これはレース優勝者与えられる賞金の45000フラン指していた。

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出場メーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 06:00 UTC 版)

名古屋TTレース」の記事における「出場メーカー」の解説

日本製オートバイ耐久性向上」を目的とし、部品類は全て日本製使用することが参加条件であった。バイクメーカー単位参加参加資格は150cc以下、1チームメーカー)3台までとされた。排気量日本製であること以外には特に制限はなかったが、当時オートバイメーカーには新たにレース専用マシン製作するような余裕はなく、ほとんどは市販マシンそのままか、市販マシン改良加えたものでの参加だった。また、前後ブレーキホーンを必ず取り付けること」という、オートバイ黎明期ならではのルールもあった。 個人1位の選手には10万円の賞金与えられ一方、1社につき5万円の参加料が必要で、レース仕様マシン制作費遠征費用などを合計すると1社が3台を参加させるためには100万程度経費が必要となった一流企業における大卒初任給1万円前後という時代であり、小規模メーカー中にはこの費用捻出できずに出場断念したところもある。 最終的にエントリーしたのは出走順に以下の1957台である(出走順は抽選により決定された)。 出走順メーカーオートバイ1エーブ自動車工業 エーブスター号 2BFモータース商会 BFビクター号 3伊藤機関工業 IMC号 4新明和工業 ポインターコメット号 5北川自動車工業 ポトリーライナー号 6昌和製作所 昌和号 7スミタ発動機 スミタ号 8モナーク工業 ポニーモナーク号 9ロケット商会 クインロケット号 10天龍織機 テンリュー号 出走順メーカーオートバイ11山下工作所 パール号 12大阪ゼット工業 ゼット13土井産業 フライバード号 14萬邦自動車商工 ファルコン号 15藤田産業 オートビット号 16丸正自動車製造 ライラック号 17長本発動機研究所 ライフ18本田技研工業 ホンダドリーム19穂高工業所 ホダカ号 ほとんどの車両当時オートバイ主流である4サイクル単気筒OHVエンジンだったが、長本発動機研究所ライフ号は当時既に旧式となりつつあったサイドバルブ型、一方で昌和製作所の昌和号は最先端OHCであったまた、当時小規模メーカーエンジン含め他社製部品組み立てて製品とする「アッセンブリメーカー」であったため、異なメーカー車種であっても同じエンジン搭載しているというケース見られた。 ちなみに名古屋TTレースの出場メーカーで現在までオートバイメーカーとして存在しているのは、この時点で既にドリーム号などのヒット作送り出しレース前人気投票でも1位となったホンダだけである。ヤマハオートバイ製造開始するのは2年後1955年昭和30年)であり、スズキはこの時点ではまだ自転車取り付けるエンジン(バイクモーター)の製造行っていたにすぎない一方出場ライダーでは大正時代レースにも出場経験のある竹之内縣一(ホダカ号)が61歳出場者中最年長最年少山下工作所創業者息子パール号乗る12歳山下護祐で、当然運転免許所有していなかったが大会出走選手資格中には年齢未満の者で大会実行委員会承認得た者」とあった。

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