モナーク工業
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モナーク工業(モナークこうぎょう)は、かつて日本に存在していた2輪車メーカーである。なお、かつてスウェーデンに存在した2輪車メーカーのモナークとは無関係である。
- ^ メグロの社長である村田延治の次女(村田アイ)の夫。同姓だが決して婿養子ではなく、元から偶然に同じ姓だったという。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ 石川照二(某財閥に連なり、元はメグロの販売店を経営していたという)が創業し、村田不二夫が引き継いだとする記事もある。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ なお村田不二夫はモナークを創業(あるいは経営を継承)後も自ら名古屋TTや富士登山レースなどに出場しており、スポーツ指向が強い人物だったという。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号-7月号、同2002年11月号
- ^ その後、東京都港区高輪で営業。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号-7月号
- ^ 1951年ごろに石川照二から村田不二夫がモナークモーターの経営を引き継いだという記事もある。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ 村田延治の近隣(東京都目黒区)に在住。本業は写真映像機器の製造会社(野村工業)だが、戦前から2輪車に親しんでいたという。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号-7月号
- ^ 共同経営ではなく、野村房男(野村工業)はエンジン製造を担当したビジネスパートナーとする記事もある。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号-7月号
- ^ a b 八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ 八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年7月号
- ^ 野村房男は第1回浅間火山レースの結果について「私は今でも周回数の数え間違いだと思う。あんなに何度も止まっていたホンダ(2位、6位など)がモナークより上位のはずがない」と語っていた。モーターマガジン社「ゴーグル」、八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年7月号
- ^ 朝鮮戦争の特需景気が後退し、モナークの経理面の手際も悪かったという。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ 浅間火山レースに出場したワークスマシンを量産化。八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号
- ^ 八重洲出版「別冊モーターサイクリスト」 2000年6月号-7月号
- 1 モナーク工業とは
- 2 モナーク工業の概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
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