再開、1988年から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/10 16:02 UTC 版)
「ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルート」の記事における「再開、1988年から現在」の解説
しかしながら、運行中断はあまり長くはなかった。アラスカへの観光客が増加し、スカグウェイへやってくるクルーズ客船も増加した。ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの沿線の劇的な景観は観光客を惹き付けると考えられ、また鉄道の線路はかつての貨物輸送やクルーズ客船の旅客向けに岸壁のすぐそばにまで引き込まれていた。クルーズ客船の運航事業者は、かつての小さな登山鉄道が乗客を魅了していたことを覚えており、保存鉄道として運行を再開することを勧めた。ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは、クルーズ客船の旅客に対して山岳地帯を抜ける鉄道の旅を提供する上でベストの位置にあるといえた。旅客はこの鉄道に乗るのにほとんど歩く必要がなかったのである。 ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートと、アラスカにおける運輸産業の労働者を代表する全米運輸労働組合(英語版)の間での交渉の末、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは1988年に純粋な観光目的でスカグウェイとホワイト・パスの間で運行を再開した。また会社は、採掘を再開したファロの鉱山からの鉱石輸送を獲得しようとしたが、クロンダイクハイウェイ (Klondike Highway) 経由の道路輸送に比べてかなり高いものとなってしまった。 この鉄道では現在でも骨董的な価値のある特別客車を使用している。もっとも古い4両は1881年製造で、これはこの鉄道自体の当初の開業よりも17年も前である。また2007年に製造された新しい4両も、この19世紀の設計を踏襲している。3両が車椅子用のリフトを備えている。 作業用の列車は、実際には1988年8月末にはホワイトホースまで到達しており、これはホワイトホースに6年にわたって保管されていた2両の機関車を牽引してスカグウェイに運び出し、そこでオーバーホールして観光客向けの列車に使用することを意図していた。ホワイトホースではおよそ1週間かけて、街中の側線に止めてあった長物車・タンク車・車掌車などの鉄道車両を引き出し、その翌年さらに南部へ向けて移動され、最終的にはこれらの多くは売却された。ホワイトホースの街中を通っていた線路の多くは今では撤去されてしまい、この路線の終点はかつての車両基地があったファーストアベニューとメインストリートの地点から6ブロックほど南になっている。湖岸に敷かれた新しい線路により、地域の歴史協会が運営する観光客向けの路面電車が運行されている。 税関とカナダの労働組合との法的な問題が解決された後、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは1989年にフレーザーまで路線を再開させ、1992年にはベネットまで再開した。1997年には、ゴールドラッシュから百周年の記念に参加するために、カークロスまで列車が到達した。招待のみであるが、特別な旅客列車が1997年10月10日にカークロスからホワイトホースまで運転され、もし市場があるならば、ホワイトホースまでの全線を最終的に再開させる計画もある。現在のところ、カナダの運輸当局はカークロスまでの線路のみを承認している。ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは、2006年7月29日にカークロスまでの列車を走らせ、2007年5月から毎週6本の列車を走らせ、帰りは自動車による形で旅客輸送を行うと発表した。スカグウェイとホワイトホースの距離は107 マイル (172 km) で、スカグウェイとカークロスの距離は62 マイル (100 km) であるので、全線の58%が再開されたことになる。 ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートは、1988年11月に廃止されたカナディアン・ナショナル鉄道のニューファンドランド島の路線から車両を購入した。これは16両の保線用車両で、まだカナディアン・ナショナル鉄道のオレンジ塗装になっている。これらの車両はニューファンドランド島の1,067 mm軌間からホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの914 mm軌間に改造された。 この路線のほとんどの列車は、下部を緑、上部を黄に塗り分けたディーゼル機関車が牽引している。しかし蒸気機関車も1両が運行されており、これはミカド型蒸気機関車の73号である。車軸配置2-8-0のコンソリデーション型機関車の40号も、ジョージタウン・ループ鉄道 (Georgetown Loop) から5年間の期限で借り受けていたが、2年のみで返却された。かつてのホワイト・パス・アンドユーコン・ルートの69号は、2001年に買い戻され、修理されて2008年に営業を再開した。 1年に数回ではあるが、蒸気動力のロータリー雪かき車が稼動可能であり、この路線の運行日を確保するために重要な役割を果たしている。この雪かき車は、それを押していた蒸気機関車とともに1964年に廃車となっており、除雪作業はキャタピラつきのトラクターが実施していた。観光客が来るのは夏場だけであるので必要性は低く、運行しているのを見られれば壮観であるが、鉄道ファンのグループ向けに1冬に1回か2回、2両のディーゼル機関車で押してこのロータリー雪かき車を走らせている。2000年だけ、2両の蒸気機関車でこれを押したことがある。 カークロスでの鉄道開通100周年として、2000年7月29日にゴールデン・スパイクの行事が再現された。73号と40号の2両の蒸気機関車を先頭同士向き合わせて開通地点で出会わせ、金でコーティングした鉄の犬釘が、ホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの建設に関わったマイケル・ジェームズ・ヘニー (Michael James Heney) の子孫によって打ち込まれた。 ある団体が蒸気機関車で牽引する列車をチャーターし、カークロスからフレーザーまで、途中ベネットに停車する予定で2005年6月24日金曜日に運転した。予定していた参加者が来られそうにないとなったときに、フレーザーからカークロスまでバスで戻ってくる行程つきで120米ドルまたは156カナダドルで余った席が一般に販売された。これは1982年以来初めてカークロスからの一般旅客輸送であった。その後2007年から定期輸送が開始されている。 社長のゲイリー・ダニエルセン (Gary Danielsen) はCBCラジオのインタビューで、ホワイトホースまでの運行は軌道の修復に莫大な初期投資を必要とするが、もし旅客か貨物輸送の需要があるならば、会社としては実施したいと語っている。 2006年6月の、アラスカの鉄道をアメリカ大陸の鉄道網と接続することに関する報告書では、カーマックスをハブとして、ホワイトホースまで、さらにスカグウェイまたはヘインズ (Haines) までを支線とすることを提唱している。 鉄道路線の復旧に加えて、アメリカ合衆国南東部でかつてのホワイト・パス・アンド・ユーコン・ルートの蒸気機関車が数両、観光客向けに運行している。テネシー州ピジョンフォージ (Pigeon Forge) のドリーウッド公園 (Dollywood) で70号、71号、192号が運転されている。ノースカロライナ州ブーンのトウィーツィー鉄道 (Tweetsie Railroad) で190号が運転されている。 2010年6月末、スカグウェイの当局と鉄道は、カークロス以北の路線の再開およびカーマックスまでの新線の建設の可能性も含めて、この路線での貨物輸送の再開を主張していくという協定を結んだ。この延長には連邦政府の資金が必要で、もし完成すればこの地域の鉱業が利用する見込みである。
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