再開した幽霊駅の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:25 UTC 版)
この一覧は、東ベルリン区域にあって、西ベルリンの列車が停車せず通過していた駅についてのみまとめている。下記のほか、分断期に運行が行なわれなかった区間に、閉鎖していた駅が東西両方に存在する。 仮検問所は、1990年7月1日より前に再開した駅に設置されていた。この日以降、東西ドイツ再統一を控えた「通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約」の発効により設置の必要はなくなった。 東西分断の結果によるベルリンの幽霊駅一覧番号駅名再開日特記事項再開順Sバーン南北線(S1, S2, S25)1 ボルンホルマー・シュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年12月12日 7 2 ノルト駅(ドイツ語版) 1990年9月1日 6 3 オラーニエンブルガー・シュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年7月2日 Sバーンの内で最も早く再開した幽霊駅 5 4 ウンター・デン・リンデン駅 1990年9月1日 ブランデンブルガー・トーア駅に改称 6 5 ポツダマー・プラッツ駅 1992年3月3日 8 Uバーン6号線 (U6)1 シュヴァルツコップフシュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 1951年から1971年の間、シュヴァルツコプフシュトラーセ駅は、ドイツ社会主義統一党 (SED) 第一書記で、実質的には東ドイツの指導者であったヴァルター・ウルブリヒトの名を頂いたスタジアムの近くにあることから、ヴァルター=ウルブリヒト=シュターディオン駅という名前であった。1971年、ウルブリヒトが解任されてエーリッヒ・ホーネッカーが後任を任されると、スタジアムと駅の名はシュターディオン・デア・ヴェルトユーゲント(ドイツ語版)(世界の若者のスタジアム)に変わった。1991年には元来の駅名に戻された。 4 2 ノルト駅 (Nordbahnhof)(現在のナトゥーアクンデムゼウム駅(ドイツ語版)) 1990年7月1日 4 3 オラーニエンブルガー・トーア駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 4 4 フランツェージッシェ・シュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 4 5 シュタットミッテ駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 西ベルリンのU6線の駅のみが閉鎖されていた。東ベルリン地下鉄A号線(現・U2線の東側区間)はこの駅に停車した。 4 Uバーン8号線 (U8)1 ベルナウアー・シュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年4月12日 この日は、西ベルリンへの検問無しの直接往来のみが可能になった。東ベルリンに通じていた駅南口は1990年7月1日まで封鎖は解除されなかった。 3 2 ローゼンターラー・プラッツ駅(ドイツ語版) 1989年12月22日 東ベルリンへ入るための仮検問が設けられていた。 2 3 ヴァインマイスターシュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 4 4 アレクサンダープラッツ駅 1990年7月1日 西ベルリンのU8線の駅のみが閉鎖されていた。東ベルリン地下鉄A号線(現・U2線の東側区間)およびE号線(現・U5線)と、Sバーン等の列車はこの駅に停車した。 4 5 ヤノヴィッツブリュッケ駅 1989年11月11日 西ベルリンのU8線の駅のみが閉鎖されていた。東ベルリンのSバーン線列車はこの駅に停車した。再開時には、東ベルリンへの仮検問が設置された。 1 6 ハインリヒ=ハイネ=シュトラーセ駅(ドイツ語版) 1990年7月1日 4
※この「再開した幽霊駅の一覧」の解説は、「幽霊駅」の解説の一部です。
「再開した幽霊駅の一覧」を含む「幽霊駅」の記事については、「幽霊駅」の概要を参照ください。
- 再開した幽霊駅の一覧のページへのリンク