再開と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:24 UTC 版)
「フェアグラウンズ競馬場」の記事における「再開と発展」の解説
この競馬場は1852年に「ユニオン競馬場(Union Race Course)」として再度開場したが、競合するメテリー競馬場にシェアを奪われて1857年にいったん閉鎖された。のちの1859年に同競馬場は「クレオール競馬場(Creole Race Course)」と改名されて再開、1863年に現在の「フェアグラウンズ」に改称され、 南北戦争中も競馬が開催れていた。 南北戦争終結後にメテリー競馬場が再開すると、フェアグラウンズは再び閉鎖された。1871年、メテリージョッキークラブから若いメンバーが脱退して、当時消滅したルイジアナジョッキークラブを再編成、フェアグラウンズで再び会合を開いた。そして1872年、ルイジアナジョッキークラブの後援の下で最初の競馬番組がフェアグラウンズで開催された。 1892年に設立されたクレセントシティジョッキークラブにより、この当時のフェアグラウンズでは12月から4月までの冬季の競馬も開催されていた。しかし、同ジョッキークラブは1913年の春に破産している。 1907年、チャーチルダウンズのマット・ウィンがニューオーリンズに来訪し、競馬番組の組み直しと、ルイジアナ州の競馬業界における諸問題に対処した。 1908年にニューオーリンズでは競馬が禁止されたが、1915年に再開が許可された。1919年、火事によりグランドスタンドが全焼したものの、トラックは無事だったため競馬開催の中止は免れた。 1940年、 ルイジアナ州での競馬運営に立法上の制裁が科せられ、トラックを含む区画が開発業者に売却されたものの、翌年に投資家のグループがそれらの土地を再取得して、フェアグラウンズの危機を救っている。第二次世界大戦後、フェアグラウンズは運営を再開した。 1981年に芝コースが設置された。フェアグラウンズは1990年にクランツ家に売却されたのち、2004年にチャーチルダウンズ社が購入している。 1993年、グランドスタンドが火災により全焼、再建までの3年間は仮設施設で競走が行われた。再建には2700万ドルが費やされ、完成したグランドスタンドとクラブハウスが1997年の感謝祭の日に一般に公開された。 フェアグラウンドはハリケーン・カトリーナで大きな被害を受け、2006年の感謝祭に再開するまで1年以上閉鎖された。このため、予定されていた2005-2006年の開催はルイジアナダウンズ競馬場で37日間分代行開催された。
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