八王子市にまたがる区域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:08 UTC 版)
「多摩ニュータウン」の記事における「八王子市にまたがる区域」の解説
八王子市由木地区(旧南多摩郡由木村)に旧来よりある「堀之内・別所・東中野・大塚・松木・越野・南大沢・下柚木・上柚木・鑓水・中山」の11の区域の中に新住宅市街地開発事業地区(新住区10箇所)と、それらに含まれない土地区画整理事業地区が設けられた。その中で「松が谷・鹿島」の2住区は旧東中野・大塚区域に新たに設けられた地名である。 新住宅市街地開発事業区域では第12~20住区が該当し、土地区画整理事業区域は由木土地区画整理事業が施行されている。 別所・中山・上柚木・松が谷・鹿島地区を除き、多摩ニュータウン開発以前から住んでいる住民が多い。由木村は開発を反対する住民の意向から日野市への編入の向きもあったが、1964年(昭和39年)8月1日に開発を推し進める派の八王子市に編入された。1971年(昭和46年)に東京都から新住宅市街地開発事業の対象地域とされ、多摩ニュータウン開発が行われた。南大沢・上柚木地区周辺は歩行者専用道路網が充実している。 旧由木地区の11区域のそれぞれの詳細は次に掲げるとおりである。 東中野 現在のバス停「東中野」付近一帯である。中央大学がある。かつては「中野」と称したが、八王子市中央部に「中野」があったため、「東」の字を冠し「東中野」とした。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。明治期より「由木東小学校」がある。この小学校は学制が布かれた際「生蘭学舎」という名前で設立された。なお、現東中野区域のほとんどはニュータウンの域外に位置するが、東中野2000番台は土地区画整理事業区域の東端のわずかの領域、および、第19住区の東山住宅の一部がニュータウン域内に入っている。 堀之内 現在の「京王堀之内駅」の北側一帯である。3本通う幹線道路周辺の広い範囲が土地区画整理事区域であり、野猿街道北側には新住宅市街地開発事業区域の第19住区があるが、第19住区は堀之内3000番台および256・661番地からなる東山住宅で構成される。かつては京王堀之内駅付近(現在の八王子市堀之内3丁目)を「堀之内日影地区」、野猿街道沿い(バス停の「由木堀之内」付近・現在の八王子市堀之内2丁目)を「堀之内日向地区」と呼んでいた。 多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した住民が多く昔ながらの家々は少なく、その住民らが建てた賃貸マンションが多くある。中央大学や東京都立大学 (1949-2011)(首都大学東京)、東京薬科大学の学生も多く住む。また、東京薬科大学や京王電鉄の京王資料館もある。なお、一時期「八王子市の東の玄関口」と称されていた。 別所 現在の「京王堀之内駅」の南側一帯の第12住区である。多摩ニュータウン開発をするまでは丘陵地帯であり住民もほとんどいなかった。現在は住都公団(当時)と都公社が建設した分譲住宅等が多く立ち並んでいる。里山を保全した長池公園付近には東京四谷にあった四谷見附橋を生きた文化財として移築した長池見附橋もある。このライブ長池地区は2001年(平成13年)度に首都圏初の「美しいまちなみ大賞」(国土交通大臣による)を受賞している。 京王堀之内駅の名称は当初「別所」が予定されていたが、駅北側に多く住む開発以前からの住民に配慮して、駅北側の地名である「堀之内」を付けることになった。 尾根幹線道路沿いは多摩市にまたがって「唐木田・長池業務地区」となっており、八王子市別所側には商業施設が多く、多摩市唐木田側にはデータセンターや研修施設が多く立地している。商業施設は総合ドラッグストアのカワチ、家電量販店のケーズデンキのほか、そこに隣接してぐりーんうぉーく多摩という大規模な複合商業施設が2007年(平成19年)春にオープンし、核テナントとなるコーナン、ニトリ、ベルク、ヤマダ電機などが開店している。 松木 現在の「京王堀之内駅」の西側一帯、バス停「浅間神社前」・「フェアヒルズ入口」一帯である。土地区画整理事業による開発で多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。ニュータウン開発の際、家を新築した人が多いため、昔ながらの家々は残っていない。なお、新住区として第13住区を構成する松木中学校がある付近の旧松木区域の一部が、別所1丁目に地名変更されている。 越野 現在のバス停「帝京大学中高校」一帯である。土地区画整理事業区域の野猿街道沿いは多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多いが、街道裏手には新住宅市街地開発事業区域の第19住区西部があり、開発後に来た住民の家々が立ち並んでいる。 南大沢 現在の「南大沢駅」周辺である。多摩ニュータウン通りを境界にして新住宅市街地開発事業区域の第14・15住区を構成。現在のバス停では「大田橋(旧南大沢)」・「南大沢駅」一帯である。かつては「大沢」と称したが、同じ南多摩郡内に別の「大沢」(現在の八王子市加住町二丁目)があったため、明治時代の旧村時代にそれぞれ「南」・「北」の字が冠された。 多摩ニュータウン開発以前は大田川沿いや日向などに農家が点在していたが、ニュータウン開発時の全面土地買収による造成で、今のように広大な範囲に住宅等が整備された。駅開設直後は駅舎周辺一帯が更地であった。しかし、それゆえ「地区センター」として大胆に白紙開発が出来たため東京都立大学 (1949-2011)(現・東京都立大学(2020-))の誘致や大規模なショッピングセンター等が立地し、公的施設として福祉センター・図書館・市民センターを複合した文化会館がある。また2009年4月、南大沢1丁目に地域を所轄する「南大沢警察署」が新設され、3丁目には消防署の建設計画がある。 1990年前後に公団が分譲し、統一感のある優れた景観から話題を呼び「BCS賞」を受賞していた「ベルコリーヌ南大沢」は42棟中20棟が施工に問題ありとされ建替えが行われている。 下柚木 現在のバス停「由木中央小学校」・「由木折返場」一帯である。その一部に新住宅市街地開発事業区域の第20住区を構成。明治期より「由木中央小学校」がある。ここも多摩ニュータウン開発以前からの住民が大変多い。また、旧来からの山々や林も若干残っており、松木地区と接する新住区域には広大な富士見台公園がある。 上柚木 現在の「南大沢駅」北側一帯である。第21住区を構成。多摩ニュータウン開発をするまでは山林が主体の丘陵地帯であり、住民もほとんどいなかった。現在は、住都公団(当時)が建設した分譲住宅等が多く立ち並んでいる。広大な上柚木公園があり本格的な陸上競技場や野球場などを備えている。 鑓水 現在のバス停「鑓水中央」一帯である。その一部に第16住区を構成。八王子周辺は古くから養蚕業が盛んだったが、開港場・横浜へ向かう街道(愛称「絹の道」)もあって、財をなした生糸商人が多く、「鑓水商人」と呼ばれた。当時を偲ばせるものとして「絹の道資料館」や1878年(明治11年)に造られた「小泉家屋敷」がある。また、街の西端には多摩美術大学がある。八王子市域の中では優先分譲地を除き開発が残された住区となっていたが、鑓水公園などが整備され近年、急速に宅地化が進んでいる。 鹿島 多摩モノレールの松が谷駅の東側に位置し、第17住区を構成する。八王子市役所由木東事務所や自然林を活用した大塚東公園がある。鹿島という地名の由来は昔、このあたりに鹿島神社があったからといわれている。 松が谷 多摩モノレールの松が谷駅の西側に位置し、第18住区を構成する。緑が深く森の中の街という印象で、大塚公園、大塚西公園、望地公園、東中野公園、乳母が丘公園と公園が多い。大塚公園には、野球場、テニスコート、プールが設備されている。また、デジタルハリウッド大学や外国語科がある都立松が谷高校もある。松が谷という地名の由来はこのあたりに松が谷戸という谷があったからといわれているが、現在は造成により地形が変化し丘陵部の高台にある住区となっている。 多摩市との境界付近にある鹿島・松が谷の2地区は、マスタープランで定めた新住区と行政区の区域割りが一致しておらず、同一住区内でそれぞれが多摩市側の愛宕・山王下と重なり、多摩市役所や多摩センター駅にも近いため、生活圏は完全に多摩市側に組み込まれている。そのことから、1982年(昭和57年)に両地区住民が八王子・多摩両市に対して「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を求める陳情を提出したが、旧由木村が八王子市に編入される際に起こった衝突の二の舞を恐れて「鹿島・松が谷地区の多摩市編入反対」の陳情を出した。 これに対して、多摩市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を可決したものの、八王子市議会は「鹿島・松が谷地区の多摩市編入」を否決して現在も「鹿島・松が谷地区」は八王子市に留まることとなる。 その結果として、八王子市は当地区へ市役所の出張事務所や公園施設の充足を図ったが、住民は合理的な学校区の選択などができず、本来の近隣住区理論に基づいた街の生活の利便性を享受しにくい環境が生じている。また、両市にまたがる境界付近にある開発用地の使途もなかなか定まらない状況になっている。さらに、鹿島・松が谷の他にも行政サービスの均一化の観点から別所二丁目など八王子市域新住区の住民で多摩市への編入を望む意見が多い。
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