八原博通第32軍高級参謀の「寝技戦法」についてとは? わかりやすく解説

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八原博通第32軍高級参謀の「寝技戦法」について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)

沖縄戦」の記事における「八原博通第32軍高級参謀の「寝技戦法」について」の解説

大本営陸軍部は、1944年昭和19年8月19日に、アメリカ軍相手にしたサイパン島の戦いグアムの戦い戦訓十分に取り入れ作成した島嶼守備要領」を太平洋各地島嶼守備隊指示している。同要領では特に、アメリカ軍猛烈な爆撃対抗できる陣地選定要領戦闘要領強調されていた。また、大本営陸軍部第一課前線からの報告纏め編纂した戦訓報」でも、サイパン失敗対策ペリリュー島の戦い善戦各部隊伝えられており、沖縄戦先立つ硫黄島の戦いでは戦訓活かして坑道陣地による持久戦術を徹底しアメリカ軍苦戦させている。 八原の作戦計画も「島嶼守備要領」に沿うものであり、硫黄島同様に戦訓を十分活かすべく、アメリカ軍イギリス軍による砲爆撃対策として強固な陣地作り心血を注いでいる。八原は講道館柔道家がアメリカ屈強なボクサー相手異種試合をしたときに、柔道家終始寝技ボクサー強烈なパンチ封殺し、遂に快勝したという講談からヒント得ており、この作戦を『寝技戦法』と自ら称した寝技戦法中心築城であり、連合国軍艦艇艦砲射撃や1トン爆弾などの強烈なパンチがあっても、それを跳ね返す堅固な築城があれば、敵の物量無価値にできると考え戦車対戦車築城徹底させれば恐れるに足らずとも考えた。八原参謀は「不可能を可能にする唯一の道は強固な築城であり、洞窟戦法である。」との『寝技戦法』の基本方針記した必勝の途」というパンフレット作り全軍布告し、全将兵徹底した築城命じた対すアメリカ軍は、猛烈な砲撃日本軍の反撃封殺し、日本軍陣地頂上這い上がった歩兵が、日本軍陣地黄燐弾投げ込み爆雷投下しガソリン流し込んで皆殺しにする『トーチバーナー戦術』で日本軍陣地一つ一つ壊滅させていった。この対抗策として日本軍は、頂上占拠され日本軍陣地に、隣接する友軍陣地機関銃擲弾筒野砲集中攻撃して、逃げ場のないアメリカ歩兵殲滅する戦法対抗した。これは、占拠され自軍陣地まな板のように見立てていることから『まな板戦法』と呼ばれたが、この戦法でもっとも猛威ふるったのが日本軍擲弾筒であった擲弾筒沖縄戦アメリカ軍兵士がもっと恐れた兵器一つで、前線戦ったアメリカ軍兵士評価は「それ(擲弾筒)はあらゆる兵器なかでもっとも猛威ふるった」「擲弾筒弾丸飛んでくる音は目標となっている者には聞こえず聞こえたときには手遅れだった。非常に大きな損害こうむったものだ」「その砲弾アメリカ軍頭上落下させることができたし、それほど弾着が正確でとくに嫌われていた」であった歩兵第22連隊第1大隊大隊長小城正大尉)は特に擲弾筒有効活用してアメリカ軍苦しめており、日本軍通常小隊ごとに4筒の擲弾筒配備して使用していたが、小城合計36筒の擲弾筒大隊直轄として集中使用したアメリカ軍は、攻撃部隊中・小隊に集中砲撃浴びせたこの小城戦法を「異例なほど効果的なやり方」と評価している。 陣地構築に際しては、コンクリートなどの資材不足していたが、沖縄南部地域は、固くツルハシ通らないような隆起珊瑚礁柔らかい泥灰岩砂岩広く覆われており、それら地層をうまく活用して陣地構築された。陣地構築については第32軍兵士の他、多く沖縄県民動員された。それで完成した隆起珊瑚礁陣地は、アメリカ軍の砲爆撃でも容易に破壊されなかった。また、多数存在した天然洞穴や、沖縄独特の墓である亀甲墓がその堅牢な構造からトーチカ代わりに使われ陣地一部となった実際に日本軍陣地対峙したアメリカ軍は、太平洋戦域の各戦場戦い抜いてきた歴戦兵士多かったが、この沖縄日本軍地下陣地が、今まで戦場見てきた日本軍陣地における巧妙複雑さなどの利点全て兼ね備えていると痛感させられている。砲爆撃耐える堅牢さだけでなく、陣地網の目の様な地下坑道連結され地下移動による補給兵員補充も容易で、防御から攻撃への切り替えもできるなど巧妙な設計となっていた。出入り口擬装されており、攻撃しているアメリカ軍後方不意に出現し背後から攻撃する事も可能であったアメリカ陸軍沖縄頑強な日本軍陣地を「小ジークフリート線」や「常軌を逸して防衛された陣地」と評している。海兵隊員のある士官は「土に埋まった戦艦のようだった」とも評したシュガーローフの戦い威力発揮した『反斜面陣地』も多く構築されている。『反斜面陣地』とは、敵と相対する斜面ではなく反対斜面構築され陣地であり、反対斜面にあるのでアメリカ軍砲撃では中々破壊されず、アメリカ軍山頂達すると、反対斜面陣地で砲爆撃をやりすごした日本軍が、迫撃砲擲弾筒手榴弾投擲山頂アメリカ軍攻撃したり、網の目のように張り巡らされ地下坑道伝ってきた日本軍背後から攻撃してくるといったもので、今までアメリカ軍経験したとがない戦法であったシュガーローフでは、巧み日本軍陣地構築で「死傷者続出しているのに日本兵の姿は全く見えない」「丘(シュガーローフ)から弾は飛んでくるが日本兵は全く見えないので、丘を相手戦って気分だった」という状況であった。 第32軍司令部首里城地下構築された。八原は司令部構築莫大な労力資材投入することに反対したが、参謀長長の強い主張により構築決定された。多数市民沖縄師範学校生徒協力により、1944年12月構築始まった司令部壕は総延長1,000m以上、深さ15m~35mで、戦艦艦砲射撃爆撃機の1トン爆弾に耐えられる構造連合軍上陸直前3月中旬完成した。後にこの司令部首里戦線核心となり、防衛戦の要となったことから、八原は長の軍司令部構築判断敬服している。

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