全通以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:35 UTC 版)
残された釧路二股(北進) - 足寄間(42.3km)についても、現地調査と地図上での比較検討が行われ、1965年(昭和40年)1月から線路選定が行われていた。路線は、二股から左股・稲牛・中足寄を通って足寄へ至るルウクシュチャロ川・稲牛川沿いの経路と、右股・螺湾・中足寄を通って足寄へ至るコイカタホロカチョロ川・螺湾川沿いの経路の2案が比較検討され、1966年(昭和41年)1月に後者の経路に決定された。これは螺湾と北見相生を結ぶ「阿寒線」構想との接続を考慮してのことだと推定されている。足寄での取り付けは、北見と釧路を結ぶ役割を考慮して南側からとされた。1967年(昭和42年)8月9日に工事実施計画が承認され、白糠町と足寄町の境界には延長5,200メートルの釧勝トンネルが計画されていた。1968年(昭和43年)から足寄町内で用地買収が始まり、1969年(昭和44年)7月29日からは路盤工事も開始され、1972年(昭和47年)までに足寄 - 中足寄間の一部(4.2km)が完成し、足寄町内の利別川橋梁(255m)の橋脚も建てられていた(1997年頃撤去)。用地も中足寄方面へ14.9kmが確保されていた。 しかし、沿線の炭鉱閉山に伴い人口が激減していた。手を組むはずであった北十勝線も頓挫し、白糠線は新線延長はおろか既開業線の存続すら危うい状況に陥った。結局、北進延長を果たした1972年に同年度予算がゼロとなり、北進以北への延長工事の中止が決定した。未成区間の工事費は21億円が投じられた。 過疎化に加えて自家用車の普及もあり、白糠線利用客数は1969年(昭和44年)度の年間15万2000人を最高に年々低下の一途をたどるようになった。1978年(昭和53年)には白糠 - 上茶路間の貨物輸送も廃止され、常に廃止対象路線にリストアップされていた。それでも当時の白糠町長の千葉清をはじめ沿線は、廃止に反対した上、本来の目的である足寄までの全線開通を願い、また上茶路坑跡地の炭鉱住宅を生かした「青少年旅行村」施策により夏場は賑わい臨時列車を出したほどであった。
※この「全通以降」の解説は、「白糠線」の解説の一部です。
「全通以降」を含む「白糠線」の記事については、「白糠線」の概要を参照ください。
全通以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:11 UTC 版)
1934年(昭和9年)10月25日:飛騨小坂駅 - 坂上駅間 (57.8 km) が開業し全通。飛越線が高山線に編入され、岐阜駅 - 富山間が高山本線となる。渚駅・久々野駅・飛騨一ノ宮駅・高山駅・上枝駅・飛騨国府駅・飛騨古川駅・飛騨細江駅・角川駅が開業。 1937年(昭和12年)10月21日:焼石駅 - 下呂駅間に少ヶ野仮信号場が開設。 1942年(昭和17年)6月1日:蘇原駅が開業。 1945年(昭和20年)1月10日: 飛騨金山駅 - 焼石駅間の橋梁で下り旅客列車の客車2両が脱線し益田川(現在の飛騨川)に転落、43人が死亡する列車脱線事故(高山線列車脱線事故)が発生。 1948年(昭和23年)2月13日:田苅屋信号場が田刈屋信号場に改称。 1952年(昭和27年)8月5日:少ヶ野仮信号場が少ヶ野信号場に変更。 12月25日:杉崎仮停車場が開業。 1953年(昭和28年)4月1日:少ヶ野信号場が駅に変更され、貨物駅として少ヶ野駅が開業。 1955年(昭和30年)10月1日:飛騨宮田駅が開業。 10月15日:杉崎仮停車場が駅に変更し杉崎駅が開業。 1956年(昭和31年)3月26日:岐阜駅 - 下呂駅間で初めてディーゼル列車が運行される。 6月1日:東八尾駅が開業。 11月19日:田刈屋信号場が廃止。 1958年(昭和33年)3月1日:全線にディーゼル列車(準急「ひだ」)が運行される。 7月24日 - 8月12日:台風11号及びその後の大雨で飛騨金山駅 - 渚駅間が被害を受け、不通になる。 1965年(昭和40年)8月5日:名鉄から乗り入れる準急「たかやま」運転開始(1966年急行格上げ)。 1967年(昭和42年)3月19日:白川口駅 - 下油井駅間に鷲原信号場が開設。 1968年(昭和43年)8月18日 - 9月12日:集中豪雨により上麻生駅 - 白川口駅間が被害を受け、不通になる(付近では飛騨川バス転落事故が発生)。 9月25日:上麻生駅 - 白川口駅間に飛水峡信号場が開設。 9月28日:飛騨金山駅 - 焼石駅間に福来信号場が開設。 10月1日:岐阜駅 - 高山駅間に CTC が導入。特急「ひだ」が運転開始。 1969年(昭和44年)10月1日:高山駅 - 富山駅間に CTC が導入。無煙化(高山駅にてさよならSLのセレモニーが行われる)。 1973年(昭和48年)4月20日:少ヶ野駅が廃止され、少ヶ野信号場に変更。 1980年(昭和55年)5月27日:高山駅構内にて電化起工式が行われるが、結局工事は中断し、そのまま中止になる。
※この「全通以降」の解説は、「高山本線」の解説の一部です。
「全通以降」を含む「高山本線」の記事については、「高山本線」の概要を参照ください。
- 全通以降のページへのリンク