全通までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 08:06 UTC 版)
岩泉線の歴史は、1922年に公布された改正鉄道敷設法の別表第8項に掲げる予定線として「岩手県小鳥谷ヨリ葛巻ヲ経テ袰野付近ニ至ル鉄道及落合付近ヨリ分岐シテ茂市ニ至ル鉄道」と規定されたものに端を発する。この予定線は、袰野で三陸海岸沿いに走る別の予定線「岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道」(別表第6項)に接続するものであった。 この予定線は直ちに建設に着手される見込みはなかったが、第二次世界大戦に入ると、小本川上流で耐火煉瓦の原料となる耐火粘土が採掘されることから、これを輸送する路線として山田線茂市駅から浅内駅に至る鉄道路線が着工されることになった。 この路線は小本線と称し、まず1942年6月25日に茂市駅から岩手和井内駅までの区間が開業した。次いで岩手和井内駅から押角駅までの区間も1944年7月20日に開業したが、この時点では岩手和井内駅以遠の区間は貨物輸送のみであった。その先も浅内駅までの延長工事が進められていたが、第二次世界大戦中には開通せず、耐火粘土は索道によって押角駅まで運ばれていた。また、木材輸送も行われていた。 終戦後も工事は継続され、押角トンネルが貫通した出口に宇津野駅を設け、1947年11月25日に押角駅から宇津野駅までの区間も開業、これと同時に岩手和井内駅から宇津野駅までの旅客営業も開始している。ここで工事はいったん中断されるが、国鉄が1952年から着工を開始した24線区の新線建設に、宇津野駅から浅内駅までの区間も含まれており、1957年5月16日に浅内駅までが開業、同時に宇津野駅は廃止された。 ここで計画されていた区間は完成したことになったが、岩泉町は「町の中心まで鉄道が来ないと意味がない」として、猛烈な建設運動を展開したという。この結果、1961年5月には浅内駅から小本駅(現在の岩泉小本駅)までの区間が調査線に指定され、1962年3月には工事線に指定された。 その後、1968年1月から日本鉄道建設公団によって、浅内駅から岩泉駅までの区間が着工となり、1972年2月6日に岩泉駅までの区間が開業、これと同時に路線名称を岩泉線に改称した。延伸区間は旅客扱い(手荷物・小荷物扱いを含む)のみで、貨物営業はそれまでと同様に浅内駅までであった。 岩泉駅までの延伸が行われた後、観光客の増加により利用者数は一時増加したものの、1975年以降の輸送実績は毎年低落傾向となった。
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