観光客の増加とは? わかりやすく解説

観光客の増加

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:16 UTC 版)

斜里バス」の記事における「観光客の増加」の解説

知布泊線開通後は1951年昭和26年)に上斜里線、富士線、越川線の生活路線開設された。1953年昭和28年)には美幌峠が「君の名は」の撮影となったほか、1954年昭和29年)には昭和天皇香淳皇后阿寒湖訪問。これを発端とした一大道東観光ブーム起き道路整備され観光客飛躍的に増加した1955年昭和30年)に貸切バス事業開始路線網1956年昭和31年)に江南線、1958年昭和33年)に知布泊線を宇登呂まで延伸知床線1959年昭和34年)に根北峠越えた標津町までの標津線1960年昭和35年)に小清水線三井線が開設され創業10年後にはバス21台、従業員58名にまで成長した1960年昭和35年)に公開された「地の涯に生きるもの」に便乗した知床観光プロモーションなどにより乗客増え、これに対応するため1965年昭和40年)に斜里駅西側旧国鉄用地バスターミナル開設し知床観光玄関口としてのイメージ一新させた。1960年(昭和35年)に其の映画地の涯に生きるもの」の撮影長期滞在した森繁久彌帰途に着く時に「さらば羅臼よ」として作詞作曲をし地元人々捧げた物で、帰京後に「しれとこ旅情発表時は、平仮名表記」の題名で、1962年(昭和37年)自身での歌の発表と、1963年(昭和38年)に森繁久彌自身レコード発売セルフカバー1965年(昭和40年)にもレコード発売された上に、1971年昭和46年)に加藤登紀子森繁の「知床旅情」をカバーして其のレコード発売されると、一大知床観光ブーム起き知床線ピーク時には1便あたり10台で運行して満員となる盛況見せた

※この「観光客の増加」の解説は、「斜里バス」の解説の一部です。
「観光客の増加」を含む「斜里バス」の記事については、「斜里バス」の概要を参照ください。

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