線路選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
1937年(昭和12年)より調査と測量に着手した。木ノ本駅を出てしばらく従来線に並走し、余呉湖の北を周って塩津に出て、滋賀県と福井県の県境を南東から北西への向きの長いトンネルで貫いて、現在の新疋田駅付近に達する構想が考えられた。この経路であれば、最急勾配を10パーミルに抑えることができる。しかし新疋田から敦賀まではなお標高差が87メートルあって、勾配を10パーミルに制限することは困難であったため、複線にして上下線を区別する構想となった。下り線(勾配を下る側)は、25パーミル勾配を使って既存線に鳩原信号場で合流し、上り線(勾配を登る側)は、既存線に並行して線路を敷設し衣掛山を半径400メートルのループ線で周って、新疋田まで10パーミル勾配に抑えた新しい経路を建設するものである。 新ルートの要となる深坂トンネルについては、滋賀県側の沓掛を中心として扇形に数本のトンネル経路を想定することができた。このうち実際に建設されたのは最長となる経路で、しかも琵琶湖北岸の断層群の主断層に対して並行しているのに対し、最短となる経路であれば長さは3,500メートルほどで済み、断層を直角に横断することができ、トンネルだけで見れば後者を選択すべきものであった。しかし勾配を10パーミルに抑えるのであれば、どちらの経路を選んだにせよ線路の総延長は同程度に必要になり、しかもこの地域が有数の豪雪地帯であることから、トンネルを短縮できたとしてもトンネル外の区間で雪覆いを長く建設しなければならず、長大トンネルを通した方が総工費が安価となるという結論になった。大断層に阻まれることがわかっている長大トンネルを、技術的に突破しようという考えであった。 こうした新線構想に対し、従来線と組み合わせてどのように全体の輸送を構成するかについて3案が考えられた。 第1案:従来線は撤去して国鉄バスで代行輸送し、新線に全列車を通す。 第2案:従来線を存置し、両ルートを本線として併用する。 第3案:現在の全列車は新線に通し、従来線はローカル線として存置する。 3案について、客貨の取り扱い、輸送方式、要員、投資などを比較検討して第3案が選択されることになった。 従来線と新線を比較すると、最高地点の標高は従来線で246.73メートルであるのに対し、新線では143.80メートルと、102.93メートル下がる。仮に蒸気機関車で運転を継続するならば、この差による石炭消費量の削減は年間1,060トンと試算された。 また牽引力で比較すると、東海道本線では換算95両(貨車総重量950トン)で運転できるが、従来線の北陸本線は換算60両(貨車総重量600トン)であるため、米原駅においてその差の350トン分の貨車を切り離さなければならない。切り離された貨車を累積して新たに列車を運転しなければならないため、その分線路容量を圧迫することになっていた。この時点で1日36本の列車を運転していたが、新線に切り替えると勾配緩和により換算95両に引き上げられるため、1日13本の列車を削減することになり、単線のままであっても線路容量を緩和することができる。
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