線路跡地とは? わかりやすく解説

線路跡地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 03:28 UTC 版)

東武熊谷線」の記事における「線路跡地」の解説

廃線跡に関しては、東武鉄道所有のままであるが、熊谷市が全区間秩父鉄道併用区間を除く)を借り受けており、以下のようになっている高崎線秩父鉄道との分岐部から大原地区第二北大通りとの交点)までが、当路線の愛称にちなん遊歩道緑道)「かめの道」として整備されている。高崎線との交点アンダーパス等がなく分断されており、往来には迂回が必要。また、国道17号との交点付近に僅かながら未整備敷地がある。 大原地区第二北大通り以北長らく畦道となっていたが、その後市道歩道完備対面2車線車道としての整備が行われた。 2022年3月26日、線路跡地を活用した熊谷市101号線の約2.5km区間埼玉県道359号葛和田新堀線との交点までの区間)が開通し全線開通となった。そこから旧妻沼駅付近までも既に道路として活用されている。 秩父鉄道併用区間線路は、現在も東武鉄道管理所有権秩父鉄道)とされ、熊谷線として使用されていた線路は現在、高崎線秩父鉄道連絡線付近までを秩父鉄道熊谷駅構内の上り線として利用されているほかは、複線として利用されていない。同区間内設置されている上熊谷駅駅舎側にホームがなく、構内踏切渡って片側(旧熊谷線ホーム)がフェンス閉鎖され島式ホームに渡るという複線単線化した構造となっている。 同区間基本的に踏切部分のみ埋められたのみで長らく線路残されていたが、上熊谷駅前後において、2019年から2020年にかけてほぼ撤去され熊谷線線路跡の所に高崎線新し架線建てられている(それまで上熊谷駅付近における高崎線架線は、熊谷線線路を跨いで上熊谷駅ホーム上あるいはその延長線上に建てられていた)。 秩父鉄道併用区間残された旧熊谷線線路高崎線秩父鉄道分岐部から大原地区までの「かめの道」。写真石原公園隣接地にある標柱で、レール模している。 「かめの道」内のキハ2000形模した建造物中奈良地区より妻沼方面を望む(整備前)。

※この「線路跡地」の解説は、「東武熊谷線」の解説の一部です。
「線路跡地」を含む「東武熊谷線」の記事については、「東武熊谷線」の概要を参照ください。

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