川越線連絡線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 08:51 UTC 版)
軍需鉄道として国鉄川越線が1940年(昭和15年)に開通すると、西武新宿線と川越線の連絡線が敷設された。脇田信号場を過ぎて国道16号の旧道を越え右にカーブし、赤心堂病院前を通って川越線に向かって進み、アトレマルヒロの前の踏切付近で川越線につながる連絡線で、戦時中に使われた。 また、西武線の線路を挟んでこの連絡線の反対側にあった日清紡績川越工場は戦時下では軍需工場で、荷物積出施設や西武新宿線のホームがあった。この国鉄川越駅への連絡線は戦後西武鉄道の所有となったが、旅客化は断念され、その後市有地となった。 線路跡地は、現在でも上空から跡地がはっきりと分かる状態になっている。
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