川越茂・張群会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
1936年(昭和11年)8月23日の成都事件と9月3日の北海事件を受け、大日本帝国外務省は、国民政府の対日態度の是正を要求し、9月8日から川越・張群会談が開始された。大日本帝国が防共協定の締結、日本人顧問の招聘などを要求し、国民政府が冀東防共自治政府の解消を要求したため、交渉は平行線を辿った。その後、9月19日に漢口、9月23日に上海で日本人が殺害され、11月上旬に内蒙古軍による綏遠事件も勃発し、12月3日に交渉は決裂した。12月12日の張学良らによる蔣介石監禁事件西安事件を経て、1937年(昭和12年)初頭には国共合作が事実上成立した。
※この「川越茂・張群会談」の解説は、「日中戦争」の解説の一部です。
「川越茂・張群会談」を含む「日中戦争」の記事については、「日中戦争」の概要を参照ください。
- 川越茂・張群会談のページへのリンク