田刈屋信号場
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田刈屋信号場(たかりやしんごうじょう)とは、かつて富山県富山市田刈屋にあった信号場である。当時単線であった北陸本線と高山本線との分岐点であった[1]。
- ^ a b c d e 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(139及び169頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
- ^ 鉄道省編、『昭和十二年十月一日現在 鉄道停車場一覧』(17及び22頁)、1937年(昭和12年)12月、川口印刷所出版部
- ^ a b c 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(32頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
- ^ 昭和9年鉄道省告示第498号(『官報』、1934年(昭和9年)10月19日、内閣印刷局)
- ^ 久野治志、「富山-呉羽、富山-西富山間単線自動閉塞装置と田苅屋信号場の遠隔制御装置に就て」、『信号』第9巻4号所収、1936年(昭和11年)7月、信号会
- ^ 石原巖編、『交通技術増刊 鉄道技術の進展』通巻第175号、1960年(昭和35年)8月、交通協力会
- ^ 石原巖編、『交通技術』第14巻11号(446頁)、1959年(昭和34年)10月、交通協力会
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- 2 田刈屋信号場の概要
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