仕事関連の才能、姿勢、性質など
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「久米宏」の記事における「仕事関連の才能、姿勢、性質など」の解説
TBSの同僚アナ・石川顯によると、久米は一分間に760字から800字ほど喋る時期もあったという。 『ニュースステーション』は現代のニュース番組としては珍しく、一切プロンプターを使用せず、原稿を机の上に置いて読み上げる方式を終始一貫して行った。久米は自著で「視聴者の側を向いた、ニュースショー番組にしたかったから」と記している。番組の衣装選びは、妻であるスタイリストの麗子が担当した。1987年にはベストドレッサー賞(スポーツ・芸能部門)、2004年には日本メガネベストドレッサー賞(文化界部門)を受賞もした。 久米はあがり症で胃腸も弱く、病弱だったため、入社当初はアナウンサーとしての活動ができず、電話番の仕事が中心だった。病気が回復した1970年4月、「パックインミュージック」のパーソナリティーとして出演する事が決まった。本人は深夜から早朝の番組に、当初は消極的だったが、その後、出演を承諾。放送開始直後に行われた、TBSの社員健康診断で、医者から「結核を患っている」事を告げられ、番組を休養(事実上降板)。5回で降板した。その後は同期の林美雄に引き継がれた。1991年2月18日放送のテレビ朝日『徹子の部屋』放送開始15周年記念公開録画(会場:有楽町朝日ホール)で出演にした折にて、前述の対人恐怖症(あがり症)を告白した。この中で、「(観客ならば)3人ぐらいが限界」「スタジオの中は静かで、(出来ればカメラマンも)誰もいない状態が一番好きなんです」と答えていた。また、このとき黒柳は、『ザ・ベストテンin長崎』(1983年11月10日放送、300回記念公開放送)にて、このときニューヨークに滞在していた黒柳がこの公開放送のために国際電話で呼びかけた際、大勢の観客が観覧する長崎市の会場が土砂降りとなって大混乱したのも重なり、頭の中が錯乱状態になり、黒柳との会話も粗暴になってしまったと回顧している。ちなみに、この回は久米単独での司会であった。 生放送音楽番組『ザ・ベストテン』では、黒柳徹子との安定感ある早口コンビで人気を博していた。その最中、テレビ朝日から『ニュースステーション』のキャスターの打診があった。テレビ朝日の社運を賭けた番組で、久米もキャスター業をしたいと思っていたため引き受けるが、スタッフから番組が決まるまで、絶対に口外しない事を告げられる。そのため、司会パートナーの黒柳やスタッフに本当の降板理由を告げられず、黒柳からは自身の自宅に久米を呼び、降板の理由を問い詰めたことがある。結果的には遺恨を残すような形での降板となる。後年、アナウンサーの2年後輩で『ザ・ベストテン』のプロデューサーだった山田修爾が亡くなった際、降板の顛末をキチンと謝罪できなかったことを悔やむ発言をしている(『ザ・ベストテン』関係者では黒柳のみ謝罪している)。加えて『ザ・ベストテン』がなければフリー転身もその後の『ニュースステーション』もなかったと話している。 『ニュースステーション』担当時の夏季休暇(夏休み)は最大で3週間取っていた。その休暇中に、重大ニュースが起こる事があった。アメリカ同時多発テロ事件も、久米の夏休み中に起こり、サブキャスターの渡辺真理が第一報を取り上げた。久米はその2日後に夏休みを切り上げて、復帰している。 休暇中は人間ドックを受けた後、『ニュースステーション』を放送していない山陰地方の温泉を旅行する事が度々あったが、とりわけ『ニュースステーション』の視聴率が高かった近畿地方からの旅行者が多く、「番組を見られていないところに行ったはずなのに、『ニュースステーション観てます』と声をかけられて困った」と語っている。また、同じく放送がなかった宮崎県では、休暇中にゴルフを楽しんでいたところ、他のプレー客から「あなた最近テレビで見ないけど、仕事ないの?」と言われ、苦笑いした経験があるとも語っている。 久米は早稲田大学の政治経済学部で学び、社会や政治に関する学問的な知識・理論や歴史に関する知識なども身につけており、いずれの国であれ民主主義が成立するためには、ある国の政治が悪しき独裁制などに陥らないためには、報道の仕事をする人は、いかなる政権からも距離を置き、政権に対してあえて批判的な役割を果たすのがその重要な役割・任務なのだということ(三権分立に加えて、報道も数えれば四権分立の重要性。)、それを忘れると民主主義はもろくも崩壊・消滅してしまうという現実、歴史的な事実(ドイツ・ナチス政権下のプロパガンダ放送、日本の大本営発表などが招いた悲惨な結果の歴史的教訓)を正しく理解したうえで自身の役割を認識しており、自身の発言のスタンスについて、「反政権与党」である旨を表明している。『ニュースステーション』キャスター当時、現政権を徹底的に糾弾するスタンスを曲げることはなかった。「僕は、社会党が政権を取ったら、アンチ社会党になりますから。これは間違いないです。共産党が政権取れば、アンチ共産党です。だいたいマスコミが政権と同じ所に立ったらめちゃくちゃですから、その国は。なぜ反自民かというと、政権を取っているからです。それ以外には、理由はないですね」と語った。 久米はNHKのことは嫌い、『NHK紅白歌合戦』の司会を打診されたとしても断るとしている。長らくNHKへの出演歴自体もなかったが、2016年11月23日放送のNHK BSプレミアム『結成50周年!コント55号 笑いの祭典』にゲスト出演し、同局初出演となった。 2020年の東京オリンピック開催について、石原都知事が開催地として立候補表明した時点から反対し続けている。久米曰く「東京でやることの理由がわからない」などの思いから。 『ニュースステーション』での発言が賛否両論になったことに関しては「僕は思いつきの失言はしないんですよ。失言は予定通りです」とし、失言によって問題が起きることは「想定内」であったと「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ系)で述べているが、直後に田中裕二に「まさかここまで(大ごとになるとは)ってのはあったでしょ?」聞かれた際には、一例として前述の所沢ダイオキシン問題を挙げている。 『ニュースステーション』メインキャスターの印象が強いが、TBSアナウンサー時代は報道番組(『JNNニュース』など)には全く出ていない(生島ヒロシ、小島一慶なども同様)。 現在はテレビからは距離を置いており、テレビ出演に消極的な発言をしている。
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