九州島内の交流電化とは? わかりやすく解説

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九州島内の交流電化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)

関門トンネル (山陽本線)」の記事における「九州島内の交流電化」の解説

第二次世界大戦後は、石炭節約観点から国鉄主要幹線電化推進する方針となった。しかし連合国軍最高司令官総司令部GHQ)の民間運輸局CTS)は、戦災復興優先するべきという理由電化推進否定的な態度取り占領期には電化はあまり進捗しなかった。1951年主権回復4年後の1955年昭和30年9月26日発足した日本国有鉄道電化調査委員会では、早急に主要幹線3,300キロメートル電化推奨する報告書11月29日提出した。これを受けて1957年昭和32年)度からの第1次5か年計画では、第1次計画として1,665.8キロメートル電化推進する方針となり、この中で関門トンネル両側にあたる山陽本線西明石 - 幡生間、鹿児島本線門司港 - 鳥栖間が取り上げられた。 ちょうどこの時期国鉄では交流電化技術にめどをつけて採用進め方針となっていた。国鉄交流電化調査委員会では、交流電化経済性検討し電車運転および交直接続の費用考慮しなければ、常に交流電化が有利であると結論づけた。しかし、この検討直流電化技術の進歩適切に考慮しておらず、また交流電化に必要となる建築限界拡大要する費用評価されていないという問題があり、これに加えてすでに直流電化されている東海道本線延長となる山陽本線では交直接続の費用交流電化経済性帳消しにしてしまうことから、交直接続をどこで行うのがもっと経済的ということ検討された。 この検討の際に大きなポイントになったのが関門トンネル建築限界問題で、トンネル断面は本来は設計上5,100ミリメートルの高さがあるはずであり、交流電化には大きな問題はないと考えられていたが、1957年昭和32年12月実測してみたところ戦時中材料不足による工事方法変更結果として区間ではあるものの4,970ミリメートルの高さとなっている場所があることが判明した。この高さでも、特別な架線吊架方式採用し絶縁方法工夫することで交流電化不可能ではないとされたが、将来的大きな貨物輸送支障をきたすおそれがあった。これに加えて関門トンネル内は海水漏洩激しく直流電化においても絶縁保持苦労している現状があり、交流2万ボルト変更すればよりいっそう保守困難になるものとされた。 また交直接箇所においては地上切替方式採用しないであれば高価な交直両用機関車を必要とする。交直接箇所から西側をすべて交直両用機関車牽引すれば、機関車の総所要両数は減るが、高価な交直両用機関車所要数が増加する一方、交直両用機関車による牽引を交直接箇所をまたぐ区間限定して西側では交流専用電気機関車を使うものとすれば、交直両用機関車所要数は減るが機関車の総所要両数増加となる。しかし、関門トンネル急勾配長大トンネル区間であり、もともと高速運転をしないうえに、電動機電流流して走る時間短く加えてトンネル内は一定の気温であることから発熱観点有利になる。さらに短区間であることから蒸気暖房用の蒸気発生装置搭載する必要もないとして、この区間に限れば交直両用機関車としては安価な専用機関車設計できるものとされた。こうした点を考慮し最終的に山陽本線直流鹿児島本線交流電化し、門司駅構内を交直接続点とする方式決定された。 こうして電化推進されることになった通常既存電化区間そのまま延長していくが、そうなる九州への電化到達はかなり先のことになり、日本有数重工業地帯当時輸送量急増していた北九州地区輸送需要応えることができないという問題があった。そこで飛び地となるが、山陽本線小郡以西九州島内を先に電化する方針となった。 こうして1961年昭和36年6月1日山陽本線小郡(のちの新山口駅) - 下関間と、鹿児島本線門司港 - 久留米間の電化開業したこのために交直両用421系電車が製作・配置され関門トンネル通過して山陽本線鹿児島本線直通する運転を開始した北九州通勤輸送対策のためにこの電化開業では、交直両用電車投入して一部客車列車置き換えあるいは増発することが先行することになり、この時点では客車貨車牽引する機関車については従来EF10形引き続き用いられた。EF10形直流専用であるため、門司駅構内内側関門トンネルから列車出入りする線路から門司操車場に至る区間はこの時点では暫定的に直流電化のまま残され外側鹿児島本線線路交流電化され、交直デッドセクション暫定のものが小倉側の山陽本線鹿児島本線分岐部に設置された。 関門トンネル区間用の交直流電気機関車としては、EF30形電気機関車開発された。1961年昭和36年8月から10月にかけて、量産形のEF30形門司配置され8月から順次営業運転開始し10月1日から本格的に運用開始した。代わって、EF10形関門間の運用から外れ直流電化区間順次転出していった。これにより、交直デッドセクションを本来の位置移設する工事が行われ、1962年昭和37年3月2日から門司駅構内全面的に交流電化となった。本来の交直デッドセクション位置でも、下り線旅客線上り線旅客貨物線はともに関門トンネル出口付近のシーサスクロスポイント(両渡り線付近にあるが、下り線貨物線上下ホームの間をさらに進んだ小倉側に設置されており、これはトンネル出口の上勾配列車停止してしまった場合に、再発進しても十分加速できないままデッドセクションのために惰行なければならなくなる危険を回避するためだとされている。 1964年昭和39年10月1日には、山陽本線全線電化完成した。このとき、東海道新幹線同時に開業したことから、在来線東海道本線での運用終えた151電車山陽本線での運用になり、特急「はと」「つばめ」として九州まで直通乗り入れることになった。しかし151系は直流専用であったため、電源車としてサヤ420形連結したうえで、九州島内では電気機関車牽引されて走ることになった。この運行1年終わり、交直両用特急電車として481系電車1965年昭和40年10月1日から使用されるようになった同時に急行用の475系電車投入されて、関門トンネル往来するようになった

※この「九州島内の交流電化」の解説は、「関門トンネル (山陽本線)」の解説の一部です。
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