主題や形式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:51 UTC 版)
「レンブラント・ファン・レイン」の記事における「主題や形式」の解説
レンブラントは生涯の創作活動において、物語、風景そして肖像を絵の主題とした。そして最終的に、感情や細部まで緻密に描写する技能に裏打ちされた彼が描く天才的な聖書物語の解釈は、同時代人から高い評価を受けた。修辞的に言えばレンブラントの絵画は、初期の、「滑らかな」技法がもたらす奇術のような形式を持つ描画に見られる卓越した技能から、後期の、画面上に現れる豊かで多彩な「荒々しい」様がもたらす画材そのものが作り出す触覚にさえ訴えかける質感が与える幻影的手法へと進歩した。 彼は同時に、版画における技能も切り開いたと言える。円熟期の中でも特に進歩的だった1649年代末頃は、素描や絵画同様に版画においても自由闊達かつ幅広い表現を感じ取ることができる。作品は広範な主題要素や技術を包含し、時には空間を意識して空白の部分を設けたり、時には織物のように複雑な線を与えて濃く複雑な彩を現出した。 ライデン時代のレンブラント(1625年 - 1631年)にはラストマンから受けた影響が色濃く現れており、また、リーフェンスも意識していたことが窺える。絵の号は小さいが、衣装や宝石などは丁寧な描き方がされている。宗教画やアレゴリーを多く描き、大きさも肖像画には充分でない半分程度の大きさであるトローニー(英語版)を描いた。1626年、初めて製作したエッチングが知れ渡り、レンブラントの名声を国際的なものにした。1629年に完成させた『30枚の銀貨を返すユダ』<ギャラリー>や『アトリエにいる風景』は、光の技法と筆跡の多彩さに意識を向けていたこと、そして彼が画家として成長する過程において大きな進歩を成したことを示す アムステルダム時代(1632年-1636年)、レンブラントは聖書物語や神話の場面を題材に、『ベルシャザルの酒宴』(1635年<ギャラリー>)、『ペリシテ人に目を潰されるサムソン』(1636年<ギャラリー>)、『ダナエ』(1636年)など、ピーテル・パウル・ルーベンスのバロック調をまねて大きな号に明暗を利かせた絵画を仕上げた。時にアイレンブルフ工房の助けを借りて、レンブラントは夥しい数の肖像画を作成した。それは小さな号(『ヤコブ・デ・ヘイデン三世』、1632年<ギャラリー>)から大きなもの(『テュルプ博士の解剖学講義』1632年、『Portrait of the Shipbuilder Jan Rijcksen and his Wife』1633年)まであった。 1630年代末頃から、数点の油彩と多くのエッチングで風景画を製作した。これらはしばしば、自然のドラマ性を強調し、根こそぎの木や不吉な空(『Cottages before a Stormy Sky』1641年、『3本の木』1643年<ギャラリー>)を描いたものもある。1640年からは、彼自身の不幸な状況が反映したのか、活力に欠け地味な色調へ変化した。聖書物語も以前主にモチーフとして使用した旧約聖書から、新約聖書に題材を多く求めるようになった。1642年にはレンブラントは集団肖像画を受注し、最大にして最も有名な『夜警』を製作した。ここでは、以前からの仕事にあった構成と物語性の問題に対する解答を見つけ出した。 『夜警』後の10年間、レンブラントは様々な号、対象、形式の絵画に取り組んだ。それまでの強い光による明暗で生み出していた演劇的効果は、正面からの光源と純粋な色彩を広く多用する方式に変化した。同時に、図像が画面に平行して置かれるようになった。このような変貌は、古典的な流儀と構成に軸足を移そうとしたことの現われであり、また、画法による表現のやり方には『水浴するスザンナ』(1636年、<ギャラリー>)のようにヴェネツィア流を取り入れたような傾向が垣間見える。また同じ頃、油彩の風景画はめっきり減り、エッチングや素描に替わった。その素材も、自然のドラマ性からオランダの静かな風景へとなった。 1650年代になると、レンブラントの絵画形式はまたも変化を見せた。多彩になり、筆使いは特に変わった。この変貌によって、レンブラントは過去の作品や作風から脱皮し、ますます洗練された繊細な作品を指向するようになった。描画における彼の独創的な手法はティツィアーノ・ヴェチェッリオに通じるものがあり、それは現代でも「仕上げ」と表面処理の完成度に対する議論の中に見ることができる。当時の記録の中には、レンブラントの画法が粗雑だという批判も存在し、彼は訪問者が絵をまじまじと見ないよう遠ざけたともいう。触知できるような絵画に対する技法は、中世的な手法から得た可能性があり、絵画の表面に息吹を与える表現の模倣効果を持った。最終的な結果は、絵の具を豊富に用いて作る深い層に明らかな偶然がもたらす効果を織り交ぜつつ、奇術的かつ非常に独特な手法を合わせ持つ形式と空間を提示した。 晩年には、聖書物語に題材を求めこそすれ、その強調するところは1661年の『聖ヤコブ』<ギャラリー>のように演劇的な集団を描く場面から肖像画的風の構図へと変わった。レンブラントは最晩年となった1669年に、生涯に描いた15の自画像の中でも最も深遠な一枚を残し、また『ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)』<ギャラリー>など、愛に生きる、人生を過ごす、神に祈る男女の絵を何枚か描いた。
※この「主題や形式」の解説は、「レンブラント・ファン・レイン」の解説の一部です。
「主題や形式」を含む「レンブラント・ファン・レイン」の記事については、「レンブラント・ファン・レイン」の概要を参照ください。
- 主題や形式のページへのリンク