主題・作品意義とは? わかりやすく解説

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主題・作品意義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:22 UTC 版)

豊饒の海」の記事における「主題・作品意義」の解説

最終巻の執筆概ね出来上がっていた1970年昭和45年9月時点三島は、第三巻以降への流れについて、現世人間が〈これが極致だ〉と思考したことが、第三巻で〈空観、空〉の方へ溶けまされるとし、その〈残念無念〉の感覚設定するには、第一巻第二巻戦前設定させて、第三巻一度〈空〉が生じ、〈それからあとはもう全部現実世界というのはヒビ入ってしまう〉流れとなり、それが次元は違うが、〈現実世界崩壊〉を〈戦後世界空白〉のメタファとなると語っている。 僕にとっても戦後世界というのは、ほんとに信じられない、つまり、こんな空に近いものはないと思っているんです。ですから仏教の空の観念と、戦後に僕がもっている空の観念とがもしうまく適合すればいいんですけれどもね。小説としてはもう完全に下り坂になるわけです。そこからはもう「絶対」なんにもない。 — 三島由紀夫文学空虚か」(武田泰淳との対談) そして三島は〈空を支え情熱〉は、信仰以外にはないとしつつ、信仰者信仰になった小説ではなくなるので、第四巻主人公を〈悪魔的〉にし、〈空を支えるのが、空観という形で、悪魔仕業のように考える〉方法にしたと説明している。 また同時期に、〈第四巻幸魂は、甚だアイロニカル幸魂で、悪(自意識の悪)が主題ですが、最後本多心境は、あるひは幸魂に近づいてゐるかもしれません。(中略)この全巻外国読者読んでもらふとき、はじめて僕は一人小説家みとめられるであらうと、それだけがたのしみです〉とドナルド・キーン宛て三島説明している。 自死一週間前には、『豊饒の海』の主題終局について三島は以下のように語っている。 絶対者到達することを夢みて、夢みて、夢みるけれども、それはロマンティークであって、そこに到達できない。その到達不可能なものが芸術であり、到達可能なものが行動であるというふうに考えると、ちゃんと文武両道にまとまるんです。(中略)あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人主人公おくっていくんですよね。それが最終的に唯識論哲学大きな相対主義中に溶かしこまれしまっていずれもニルヴァーナ涅槃)の中に入るという小説なんです。 — 三島由紀夫三島由紀夫 最後の言葉」(古林尚との対談ちなみに恩師清水文雄宛てへの最後書簡では、〈小生にとつては、これが終ることが世界の終り他ならない〉とし、以下のように述べている。 カンボジアバイヨン寺院のことを、かつて「癩王のテラス」といふ芝居書きましたが、この小説こそ私にとつてのバイヨンでした。書いたあとで、一知半解連中から、とやかく批評されることに小生は耐へられません。又、他の連中の好加減な小説と、一ト並べにされることにも耐へられません。いはば増上慢限りでありませうが……。 — 三島由紀夫清水文雄宛て書簡」(昭和45年11月17日付)

※この「主題・作品意義」の解説は、「豊饒の海」の解説の一部です。
「主題・作品意義」を含む「豊饒の海」の記事については、「豊饒の海」の概要を参照ください。

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