レンブラント・ファン・レインとは? わかりやすく解説

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レンブラント・ファン・レイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 08:02 UTC 版)

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインRembrandt Harmenszoon van Rijn オランダ語: [ˈrɛmbrɑnt ˈɦɑrmə(n)soːn vɑn ˈrɛin] ( 音声ファイル)1606年7月15日 - 1669年10月4日)は、ネーデルラント連邦共和国(現・オランダ王国)の画家レンブラント(Rembrandt)の通称で広く知られ、大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意とした[1]


注釈

  1. ^ 1607年生まれとの説もある。1634年6月10日に、レンブラントは自分が26歳だと述べている点を根拠にした Is the Rembrandt Year being celebrated one year too soon? One year too late?、や J. de Jong が唱えた Rembrandts geboortejaar een jaar te vroeg gevierd にて解説されている。
  2. ^ 尾崎 (2004) 年表、p.248およびBull, et al.、p.28では「第九子」、オランダ政府観光局のページ では「10人兄弟の末っ子」、京都国立博物館 レンブラント略年表 では「10人兄弟の9番目」とあるが、ここでは兄弟の詳細を含むボナフー (2001)、p.21の記述を用いる。
  3. ^ レンブラントはオランダ語の読み書きができなかったという話を、死の3年後にヨアヒム・フォン・ザンドラルトという人物が残した。ただしライデン大学の記録には1620年5月20日付け名簿にレンブラントの名があり、文盲の人物を入学させるとは考えられない。ボナフー (2001)、p.28
  4. ^ ボナフー (2001)、pp.83-104、影の時代の表記。Slive (1995)、p.82では、レンブラントはオランダ改革派教会の信者でなかったため呼び出しを受けなかったとある。
  5. ^ Schwartz (1988)、p.12によると、邸宅は2年前に売れていたが、彼は2年間そのまま住むことを許されていた。
  6. ^ 200年前、Bartschはレンブラントのエッチングリストを375点とした。Schwartz (1988)、pp.6によると、近年、真作のリストには風変わりな2点を含む3作が加えられ、Münz 1952, p. 279, Boon 1963, pp. 287(参考:Print Council of America Archived 2000年8月31日, at the Wayback Machine.)にある289点を上回ったと言うが、その具体的な数は記していない。
  7. ^ これは全数ではないと思われ、学術的分析は続行中である。2006年から翌年にかけてベルリン・コレクションを展示するために行われた解析では、彼の作とされた点数が130枚から60枚に減少した。参照:Codart大英博物館は同じような活動を行い、新たなカタログを発行する予定である。

脚注

  1. ^ a b c d 180 レンブラント・巨匠とその周辺”. 京都国立近代美術館. 2010年12月23日閲覧。
  2. ^ a b メキキズ・ビジネス編集局. “光の魔術師” (PDF). NTTアドバンステクノロジ株式会社. 2010年12月23日閲覧。
  3. ^ Gombrich (1995)、p.420
  4. ^ Gombrich (1995)、p.427
  5. ^ Clark (1969)、p.203
  6. ^ a b c d e f g h レンブラント・ファン・ライン”. オランダ政府観光局. 2016年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月19日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 尾崎 (2004) pp.7-13、プロローグ
  8. ^ a b c d e f g h i ボナフー (2001)、pp.17-44、「黄金の世紀」の始まり
  9. ^ a b c d e f g h i j k l グレートアーチスト、pp.4-11、オランダの至高の天才
  10. ^ Bull, et al., (2006) p.28
  11. ^ a b c d e f レンブラント略年表”. 京都国立博物館. 2011年1月21日閲覧。
  12. ^ a b c d 南城 (2003)、pp.135-140、レンブラントの登場
  13. ^ a b c 南城 (2003)、pp.140-143、レンブラントの素描観
  14. ^ a b c d e f g h i j k 尾崎 (2004) pp.248-253、年表
  15. ^ Slive、p.55
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ボナフー (2001)、pp.45-82、光の時代
  17. ^ a b 稲田弘子「クローデルとレンブラント : 『夜警』に見る「解体」」『研究紀要. 第四分冊, 短期大学部(III)』第27巻、聖徳大学短期大学部、1994年、71-76頁、NAID 1100004755112020年4月1日閲覧 
  18. ^ Slive (1995)、pp.60-61
  19. ^ a b c d e 高階秀爾「レンブラント、光と影のドラマ」『西欧芸術の精神』青土社 
  20. ^ 中野京子『中野京子と読み解く 名画の謎 対決篇』文藝春秋、2016年、187頁。ISBN 978-4-16-390308-8 
  21. ^ Rembrandt and Saskia” (英語). Gemeente Amsterdam. 2011年1月21日閲覧。
  22. ^ a b c Bull, et al.、p.28
  23. ^ Clark (1978)、pp.26-27, 76, 102
  24. ^ a b Slive (1995)、p.71
  25. ^ a b c d e f g h i j ボナフー (2001)、pp.83-104、影の時代
  26. ^ ボナフー (2001)、pp.156-163、資料5競売用に作成されたレンブラントの資産一覧
  27. ^ a b Slive (1995)、p.84
  28. ^ a b c d e f g h i j ボナフー (2001)、pp.105-132、ただ、自らを見つめて
  29. ^ a b Clark (1978)、p.105
  30. ^ 尾崎 (2004) pp.240-242、第七章 1.破産後の蒐集活動
  31. ^ 南城 (2003)、pp.150-152、ゴヤの素描観‐近代美術の誕生
  32. ^ a b Clark (1978)、pp.60-61
  33. ^ Bull (2006)、p. 29
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  48. ^ Wetering (2000)、pp.155-165
  49. ^ Wetering (2000)、pp. 157-158, 190
  50. ^ 「(後期)レンブラントが描いた、生きた人間とまみえるように感じられる絵に、その暖かさ、共感を求める姿、または孤独や受難を我々は感じ取る。彼らの鋭く凝らした瞳は、レンブラントの自画像と同じく我々の心への訴えかけを直に感じざるを得ない。」Gombrich (1995)、p.423
  51. ^ 「それ(ユダヤの花嫁)は愛を育み、華美と慈愛と信頼などさまざまなものがすばらしい融合を見せ、誠実さに溢れたふたりの顔には古典的な描法では決して描くことができなかった霊的な輝きを湛えている」Clark (1969)、p.206
  52. ^ Schwartz (1988)、pp.8-12
  53. ^ White (1969)、pp.5-6
  54. ^ White (1969)、p. 6
  55. ^ White (1969)、pp.6, 9-10
  56. ^ White (1969)、pp.6-7
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  58. ^ a b グレートアーチスト、pp.16-17、名画の構成:夜警
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  60. ^ 宮下規久朗『欲望の美術史』光文社、2013年、106頁。ISBN 978-4-334-03745-1 
  61. ^ Wetering (2000)、p.290
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  64. ^ 個人所蔵のレンブラント自画像、約20億円で落札 英ロンドン”. AFPBB News. 2020年7月29日閲覧。
  65. ^ Bull (2006)、pp.11-13
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  68. ^ a b 尾崎 (2004)、pp.69-83、第二章 4.女性の力
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  70. ^ 原啓志『紙のおはなし』日本規格協会、1992年、49-50頁。ISBN 4-542-90105-X 
  71. ^ 東方幸男. “発明コラム「イカ墨」”. 株式会社発明通信社. 2010年12月26日閲覧。
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  76. ^ 二子登 麓愛弓 湊園子[編]. “東西贋作事件史”. 東京大学総合研究博物館. 2011年1月21日閲覧。
  77. ^ Ernst van de Wetering (Ed.). “プレス・リリース” (英語). レンブラント・リサーチ・プロジェクト. 2011年1月21日閲覧。
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  80. ^ Pilate Washing His Hand” (英語). The Metropolitan Museum of Art: European Paintings. 2011年1月21日閲覧。
  81. ^ Gary Schwarz. “Schwarzlist 301” (英語). 2011年1月21日閲覧。
  82. ^ White and Buvelot (1999)、p.10
  83. ^ Entertainment | Lost Rembrandt works discovered”. BBC News (2005年9月23日). 2011年1月21日閲覧。
  84. ^ 「レンブラントは完全なる一貫性を常に持っていたわけではなく、論理的なオランダ人という性格を彼に当てはめるのは、こうあれという思い込みである」Ackley (2004)、p.13
  85. ^ Wetering (2000)、p.x
  86. ^ Chronology of his signatures (pdf) , [1]
  87. ^ Slive (1995)、p.60
  88. ^ a b ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』、2004年9月16日号、Livingstone, Margaret S.; Conway, Bevil R. (September 16, 2004). "Was Rembrandt Stereoblind?" (Correspondence). 351 (12): 1264–1265. PMID 15371590.
  89. ^ Clark (1978)、pp.147-150. レンブラント作と認められた品の所在カタログ参照
  90. ^ レンブラント故郷で10代のときの連作展示 オランダ”. 時事通信ニュース. 2024年6月29日閲覧。


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