ルター訳の成立過程とは? わかりやすく解説

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ルター訳の成立過程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:22 UTC 版)

ルター聖書」の記事における「ルター訳の成立過程」の解説

ヴォルムス帝国議会からヴィッテンベルクへの帰路誤ってザクセン選帝侯フリードリヒ賢公のものである考えられている誘いによって、ヴァルトブルク招かれた後、当地で「ユンカー・イェルク(Junker Jörg)」として潜伏しつつルター聖書翻訳開始した1522年9月には翻訳完了した新約聖書が大版で印刷された(「9月聖書」)が、既に同年12月にはテクスト改稿され挿絵訂正されている。その後数年渡ってこの聖書少しずつ拡張され改稿されていった1524年10月にはモーセ五書歴史書詩書完成されおそらくは1526年3月ヨナ書1526年6月ハバクク書1528年1月ゼカリヤ書1528年10月イザヤ書完成している。 1529年新約聖書基礎から校正され1530年には最終的な編集が行われた。諸書への取り組みはさらに進み同時に注釈作成行われた1529年6月にはソロモンの知恵が、1530年4月にはダニエル書浩瀚注釈付の序言と共に完成され同年6月にはエゼキエル書注釈付き38章・39章が成立した1531年には詩篇新たに最終的な形で作成された。 1532年3月ハンス・ルフト預言書を印刷した翌年1月にはシラの書が、その後すぐに第一マカバイ記が、スザンナダニエルの話及びベルと竜の話が補われて、ルターによる第2版として完成された。 1533年には、完全版への直接的な準備があり、そこでは旧約聖書モーセ五書歴史書詩書中でも創世記さらなる校正が行われた。1534年10月4日から11日にかけてはミカエル・ミサが開催されていたが、そこで900の未製本完全原稿が6部構成それぞれにタイトルページページ番号付いた形で登場したモーセ五書歴史書及び諸詩書預言書、外典、そして新約聖書である。 1545年ルター自らによる最後修正が行われた。数世紀わたってこの聖書印刷者や聖書協会によって各自判断基づいて現代化されていったため、19世紀末には将来的統一的且つ校正されテクスト普及させることが不可欠になったその際問題になったのは正書法である。ルター聖書学校教材として使用される以上、教師書き取り試験の際に間違いとしてバツをつけるであろう文章を、生徒読んではならなかった。このため1861年及び1863年には統一的な聖書テクスト決定について合意され10人の神学者新約聖書校訂委託された。1867年試験的に新約聖書編纂され、この新約聖書1870年最終的に完成された。しかし、初め完全版の「試訳聖書」が登場したのは、1883年になってのことであった1892年には、最初の「教会の名に於ける改訂終わった説明された。 1912年には二度目改訂があった。こういった聖書諸版ビザンツ帝国テクスト、即ち古代後期統一され新約聖書形態から出発していたが、より早期パピルス評価通じてなされたテクスト・クリティーク(まさに敬虔な研究者たちによって行われた)によって、現在の学問的編集基盤となっており且つこれ以降ルター聖書校訂に於いて参照されることになった、より古いテクスト形態確定された。1956年新約聖書校訂終了し1964年には旧約聖書校訂終了した1970年には外典についても終了しその5年後には旧約聖書ついていくつかの変更なされたが、この際には2箇所教会オーストリアにその導入拒絶されている。 1977年ドイツ福音協会諮問会議前回新約聖書校訂での根本的なテクスト変更取り消すことを決定した(約120箇所関係する)。これらの復古的なテクスト形態1984年新約聖書第3版として使用開始された。その他、聖書人名書法聖書全体について新たにルール化されてもいる。1975年校訂ではプロテスタントーカトリック合同委員会聖書中固有名詞書法について一貫して責任負っていた(ロックム・ガイドライン)のであるが、1984年ルター聖書では、あまりに多く変更教会信徒に対して要求することはできない考えられ多く名前表記に際して再び古来ルターによる書法使用された。NazaretではなくNazareth新共同訳ナザレ」)、KafernaumではなくKapernaum(新共同訳カペルナウム」)、EzechielではなくHezekiel(新共同訳エゼキエル」)、LjobではなくHiob(新共同訳ヨブ」)といった具合である。このようにして独特な混乱生じてしまった。名前が現在では一般的なものとは考えられ得ないような、古くからの教会統一的ではない書法書かれる一方Absalom, Asser, Ephraim, Jeftahなど)、84年ルター聖書では多く著名な名前がロックム・ガイドライン形式収録されているためである。例えば、「ルツRutRuthではなく),、「ヨナタン」Jonatan (Jonathanではなく)、「エステルEsterEstherではなく)。 1998年非公式改訂版出された(「98年ルター聖書」)。これは、旧約聖書1912年テクストのままにしておき、新約聖書編纂者の目に必要と思われる箇所について「伝承テクスト」によって校訂するというものである1999年には、新正書法への転換に際してわずかな箇所のみ1984年の公式改訂から修正され聖書研究最新の知見盛り込まれることとなった。 「1545年ルター聖書」の名の下に、ミヒャエル・ボルジンガーは、ルター1545年テクスト逐語的に今日の書式に書き改めるという目的持った改訂版発表している。この主にインターネット普及している改訂版は、しかしながらルターの手による最終版に基くものではなく、さらに後の原稿よるものである。 いわゆる中核部分(Kernstellen)、つまり太く印刷され聖書詩句は、その大部分初期には堅信礼受けた少年少女によって暗記されていたものであるが、これらはルター聖書特徴をなしている。ルター自身聖書個々部分印刷に際して強調したのかもしれないが、この中部分それ自体は、非常に能動的に聖書普及のために努力し中核部分によって人民いくつかの黄金詩句」をもたらそうとしたヴュルテンベルク敬虔主義遺産のである聖書中相関関係に於いては副次的しかない文章牧師メンタリティー合致した場合そういった部分中核部分入れられてしまうということで、批判火がつくことがあるそれほど中核部分構成はすべてされてきていのであるルター聖書さらなる特徴は、いわゆる旧約聖書外典切り離したことである。ルターはによる後期翻訳は、再びユダヤ教正典範囲を取るようになっていた。しかし、ルター外典をも翻訳したのであり、外典狭義聖書中に、即ち二つ聖書中間置いて外典についてもまた説教行ったであった三番目ルター聖書特徴は、彼の意向に基いての新約聖書の諸文書配列である。ルターは、自分神学的に疑わしい考えた文書ヘブライ人への手紙ヤコブの手紙)を新約聖書最後にずらしてしまった。

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