ミラクル・ネッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:08 UTC 版)
「ジェイソン・キッド」の記事における「ミラクル・ネッツ」の解説
当時のニュージャージー・ネッツは誰の目から見てもリーダー不在のフランチャイズであり、過去7年間でプレーオフ進出は1回のみ、2000-01シーズンも26勝56敗と大きく負け越した典型的なドアマットチームだった。そのネッツがたった一人、キッドを迎え入れただけでプレーオフ、さらにNBAファイナルまで進出したことは、当時のNBAファンを大いに驚かせた。 近年のネッツの不振は故障者が続出した影響もあったが、シューティングガードのケリー・キトルズやパワーフォワードのケニオン・マーティン、エース格のキース・ヴァン・ホーンらは怪我から立ち直りつつあった。また新人たちの中にはリチャード・ジェファーソンやジェイソン・コリンズの姿もあった。2年目の若手ヘッドコーチ、バイロン・スコットはキッドという正真正銘のリーダーがチームを牽引してくれると確信し、そしてキッドはスコットの要請で開幕前にチームメートの前で演説し、迎える2001-02シーズンを「特別なシーズンとなる可能性がある」と述べた。キッドは開幕戦のインディアナ・ペイサーズ戦で自らの言葉を実証するようなプレーを見せた。第4Qに入った時点で11点のビハインドを背負っていたキッドは、14得点10リバウンド9アシスト4スティールの活躍でチームに逆転勝利を呼び込んでいる。緒戦の勝利に勢いに乗ったネッツは最初の8試合を7勝をあげ、アトランティック・デビジョンの首位を確保することになった。ネッツ躍進の秘密はディフェンスの大幅な改善にあった。前年平均失点でリーグ22位と下位に沈んでいてたネッツのディフェンス力は、リーグ指折りのディフェンダーでもあるキッドの加入で平均失点はリーグ5位まで改善された。さらにディフェンスの強化はオフェンスにも好影響を及ぼした。強固なディフェンスによってボールの保持権を奪えば、それはそのままキッドが得意とするファーストブレークを繰り出すチャンスとなったからである。刺激的なトランジション・ゲームを展開したネッツの平均得点は、前年のリーグ22位から13位まで上昇。攻守両面の改善という困難な作業を成功させたネッツはシーズンを通して好調を維持し、前年の26勝の倍となる52勝をあげて前年のカンファレンス12位から一気に1位まで駆け上がった。キッドはMVP獲得も有力視されていたが、個人成績は決して派手なものではなかったため(キッドの成績は平均14.7得点7.3リバウンド9.9アシスト2.2スティールで4年ぶりにアシスト王の座を明け渡している)、MVP投票はティム・ダンカンに次ぐ2位に終わった。 プレーオフに入ってもネッツの勢いは止まらなかった。1回戦でレジー・ミラー率いるインディアナ・ペイサーズと対戦。初戦を落とし、その後1勝2敗とペイサーズに先にシリーズを王手を掛けられるも、天王山の第5戦ではキッドの31得点の活躍でネッツがペイサーズを降し、1983-84シーズン以来の1回戦突破を果たした。カンファレンス準決勝ではバロン・デイビス擁するシャーロット・ホーネッツと対戦。第3戦ではルーズボールの争いでキッドとホーネッツのデビッド・ウェズリーが接触し、キッドの瞼が裂けるという災難に見舞われるも、ネッツは4勝1敗でホーネッツを一蹴し、NBA加盟以来初となるカンファレンス決勝進出を果たした。ファイナルの前に立ちはだかったのがポール・ピアスとアントワン・ウォーカー擁するボストン・セルティックスだったが、キッドはこのシリーズで3回のトリプル・ダブルを達成し(1つのシリーズで3回以上のトリプル・ダブルを達成するのは1960年代以来の快挙だった)、4勝2敗でこのシリーズを制したネッツがついにファイナル進出を果たした。ファイナルでは当時ファイナル2連覇中だったロサンゼルス・レイカーズと対戦。怪物センター、シャキール・オニールを止める術を最後まで見出せなかったネッツは4戦全敗を喫したが、このシーズンのネッツのセンセーションはキッドの実力を周囲に改めて知らしめた。 レイカーズをはじめとする西の強豪チームを相手にするには、ネッツはインサイドが非力過ぎた。優勝を目指すネッツは2002-03シーズン前にヴァン・ホーンらを放出して過去4度NBA最優秀守備選手賞に輝いたディケンベ・ムトンボを獲得するが、ムトンボは怪我で満足のいくプレーができず、この補強は失敗に終わった。一方で2年目のリチャード・ジェファーソンが成長を見せ、キッド、ケニオン・マーティンらと共にチームの中核を占めるようになった。ネッツは50勝には及ばなかったものの49勝33敗の成績でカンファレンス2位の座を堅守。キッドはキャリアハイ、チームハイとなる平均18.9得点、2年ぶりにアシスト王の座を奪回する平均8.9アシスト、その他平均6.3リバウンド2.2スティールをあげた。メディアの多くはニュージャージーの熱狂はこの年も続かないものとを思っており、プレーオフではネッツが1回戦を突破することすら疑問視していた。1回戦の相手はゲイリー・ペイトンとサム・キャセール擁するミルウォーキー・バックスだったが、キッドは3勝2敗で迎えた第6戦で22得点11リバウンド11アシストを記録してバックスを降し、周囲の否定的な予想を覆してみせると、カンファレス準決勝のセルティックス戦、カンファレンス決勝のデトロイト・ピストンズ戦をいずれも4戦全勝で制するという圧倒的な強さで、2年連続のファイナル進出を果たした。とは言えニューヨーク周辺のメディアは相変わらずネガティブな報道を繰り返し、ネッツはファイナルでサンアントニオ・スパーズの前に、前年と同じように惨敗を喫するだろうと予想された。スパーズはインサイドにはリーグを代表するビッグマンのティム・ダンカンがおり、バックコートにはトニー・パーカー、マヌ・ジノビリが揃うという充実した陣容を誇っていた。サンアントニオで行われた第1戦ではメディアの予想通り、ネッツの貧弱なインサイド陣がダンカンによって一蹴され、89-101で敗北するが、第2戦ではキッドの30得点の活躍でスパーズのホームコートアドバンテージを無効にする87-85の勝利をあげ、第4戦でも勝利するなどネッツは周囲の予想以上の善戦を見せたが、第6戦で力尽き、2勝4敗で2年連続ファイナル敗退に終わった。 このオフにFAとなったキッドのもとに、キッドの優勝の夢を砕いたばかりのスパーズからオファーが舞い込む。是非とも優勝したいキッドにとってこのオファーは大変に魅力的だったが、それでもキッドはネッツでの優勝を望み、ネッツと6年9900万ドルの大型契約を結んだ。ネッツはキッドを満足させるために腎臓疾患から奇跡の復活を果たしたアロンゾ・モーニングを獲得したが、彼もまたムトンボ同様にネッツに戦力を供給することはできず、12試合のみの出場にとどまっている。有力なビッグマン不在とキッドとバイロン・スコットHCの不和によりチームは安定性を欠き、シーズン前半は22勝20敗と勝率5割を僅かに上回っただけだった。しかしスコットがコーチを解任され、後任にローレンス・フランクが就任するとネッツは14連勝を飾る。連勝期間中キッドは2回のトリプル・ダブルを記録するなど活躍したが、3月には膝の故障で戦線離脱を強いられ、大黒柱の不在でネッツも勝率が伸び悩み、最終的には47勝35敗の成績に終わった。プレーオフでは1回戦でニューヨーク・ニックスを4戦全勝で破るが、カンファレンス準決勝のピストンズ戦では、膝の故障から回復しきってないキッドがシュートタッチに苦しみ、ネッツはロード2連戦を連敗する。ホームで迎えた第3戦ではネッツが勝利し、第4戦ではキッドが22得点10リバウンド11アシストと活躍、シリーズは3勝3敗のタイで第7戦を迎えた。しかしこの大一番でキッドは再びシュートスランプに陥り、8本のフィールドゴール全てを外し、0得点に終わった。大黒柱の大不振によってネッツは69-90と大敗し、3年連続のファイナル進出はならなかった。
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