ネッツ【NETs】
ネッツ
ネッツ
ネッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 23:34 UTC 版)
「リチャード・ジェファーソン」の記事における「ネッツ」の解説
アリゾナ大学に在学中、2001年のNBAドラフトでヒューストン・ロケッツから1巡目13位指名を受けるも、開幕前にトレードでニュージャージー・ネッツに入団した。 以降、2008年までネッツ一筋でプレーしている。ルーキーシーズンは、79試合に出場、9.4得点、3.7リバウンドの記録を残す。 2002年には、チームを去ったスモールフォワードのキース・ヴァン・ホーンの後釜としてジェファーソンは先発メンバーとしてその才能を発揮させるようになる。 03-04シーズンでは、82試合すべての試合に出場した。同シーズン、スモールフォワードであるにもかかわらず、フィールドゴール成功率でリーグ12位にランクインする活躍を見せた。 2004年オフシーズンには、アテネオリンピックアメリカ代表としてもプレーした。 04-05シーズン開幕からはチームの大黒柱ジェイソン・キッドの怪我やケニオン・マーティンらの主力放出により孤軍奮闘を強いられたが、 キッドの復帰に加え、トロント・ラプターズのエースヴィンス・カーターをトレードで獲得し、NBA屈指のトリオ(ビッグ3)が誕生した。 だが、直後にジェファーソンが右手の靭帯断裂の大怪我をしてしまい、シーズン中3人が同時に出場したのは8試合にとどまった。 05-06シーズンには3人そろってプレー。ジェファーソンは周囲から「カーターとポジションがかぶり、2人の能力が出せなくなってしまう。」と言う不安をうけていたが、そんなことはほとんどなく、上手くコート上に共存している。 カーター加入後は第2オプションとしてプレー。得点は下がったものの、FG成功率はアップした。 06-07シーズンは右足首に怪我を抱えたままのプレーが続き、成績は下降。2007年1月には手術を決意し、戦線から離脱した。 シーズン中の復帰は絶望と見られていたが、3月には復帰。彼の不在で低迷していたチームもシーズン最終戦には勝率5割に達し、プレイオフに進出した。 故障から立ち直ったジェファーソンは07-08シーズンにはカーターに代わってチームの得点源として目覚しい活躍を見せ、「故障に弱い」というイメージを払拭して全82試合に出場し、平均22.6得点の好成績を残したが、ネッツはシーズン序盤から不調に陥り、 さらにジェイソン・キッドがチームを去ったため、プレーオフ進出は果たせなかった。
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