ミサイルフリゲートとしてとは? わかりやすく解説

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ミサイル・フリゲートとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 14:41 UTC 版)

クーンツ (ミサイル駆逐艦)」の記事における「ミサイル・フリゲートとして」の解説

クーンツ1961年8月10日サンディエゴ出航第7艦隊合流し高速空母任務部隊加わった。7ヶ月間の第7艦隊配備で、クーンツ55,000マイル巡航し日本韓国香港オーストラリアおよびアメリカ領サモア訪問した十分な戦闘即応性を維持するための訓練演習の間に、クーンツミサイル運用の優秀性から戦闘効率賞を受賞している。 1962年3月23日本国戻りクーンツ第1艦隊に再合流1962年4月に第17駆逐戦隊旗艦となる。1962年8月11日から11月11日まで第11駆逐艦巡洋艦隊の指揮艦任務に就きその後再び第17駆逐戦隊旗艦となった1962年7月ジェームズ・R・コリアー中佐レイス大佐に代わって艦長着任したクーンツ第7艦隊と共にアジア海域展開し日本横須賀神戸、呉、別府および香港訪問した。この任務の間にNASAマーキュリー・アトラス8号計画回収任務にも従事している。1962年10月3日ウォーリー・シラーは、100マイル(160km)の高度で地球周回飛行行ったクーンツ回収作業のための待機艦としてリストアップされたが、任務には従事しなかった。クーンツ1963年5月本国帰還した1963年6月にはジョン・F・ケネディ大統領に対してテリア対空ミサイル攻撃能力デモンストレーション行った1963年10月から1964年4月にかけてロングビーチ海軍造船所オーバーホールが行われ、クーンツのミサイルシステムは近代化された。1964年3月7日コリアー中佐に代わってユージーン・C・ケニオン・ジュニア中佐艦長として着任したクーンツ兵装システム公試および回復訓練終え1964年4月太平洋艦隊に再合流したミサイル運用および砲術に関して戦闘効率賞を受賞しその後8月3日に第17駆逐艦隊の旗艦となり、8月5日西太平洋向けて出航した1964年8月16日第7艦隊合流すると、高速空母任務部隊の1隻として6ヶ月間の任務に就く。41,000カイリの距離を航海しフィリピンスービック海軍基地香港佐世保横須賀訪問した12月クーンツベトナム戦争での南シナ海における作戦活動支援功績で軍遠征章を受章した3度目西太平洋配備完了すると、第1艦隊指揮下に戻り1965年2月6日帰還した第1艦隊での作戦活動には、1965年夏の士官候補生訓練巡航含まれた。この巡航クーンツワシントン州ベリングハム、ワシントンカリフォルニア州サンフランシスコハワイ州ヒロ真珠湾訪問したこの期間のエンジニアリング通信および対潜艦戦功績で「E」「C」「A」を受賞している。1965年8月14日、ケニオン中佐退任し、W・カミングス中佐艦長着任した1965年12月から1966年1月までクーンツサンディエゴヘリコプター運用のための改修が行われた。この改修には甲板上の排気口再配置艦尾部分構造物撤去JP-5 燃料供給浄化装置設置およびヘリコプター運用のための動力供給システム設置含まれた。クーンツ同級におけるヘリコプター運用改修が行われた最初の艦であった作業完了する1月サンディエゴ出航、6ヶ月におよぶ第7艦隊配備向かった静岡県下田市神奈川県横須賀市フィリピンスービック湾台湾高雄訪問し3月には西太平洋配備における功績殊勲部隊章受章した4回目配備終えるとクーンツ第1艦隊配属となり、1966年8月1日帰国したロングビーチ海軍造船所工廠出発した後、クーンツサンディエゴ戻り訓練および維持調整始めたその後西太平洋に展開、再び第7艦隊合流し30日間探索救助任務従事同様に空母作戦活動および特別任務従事したその間香港横須賀スービック湾訪問している。 5度目西太平洋配備中の1967年7月28日カミングズ中佐に代わってE・デール・ガイガー中佐艦長着任した8月クーンツインドネシアジャカルタ訪問し1963年前半以来同国訪問する最初アメリカ軍艦艇となったその後トンキン湾北部捜索救助ステーション30日間任務期間を2度過ごし、9名の飛行士救助参加した香港短期間訪問した後、オーストラリアシドニーおよびニュージーランドウェリントン経由し1968年2月8日母港サンディエゴ帰還した維持調整期間の間に、試験および評価モニタリングシステム装備され第1艦隊での作戦活動入った。これは水上艦艇への同システム最初導入であった任務には士官候補生夏季巡航含まれサンフランシスコシアトル真珠湾訪問したその後第1艦隊作戦活動参加し、その中には演習Beat Cadence」も含まれ1968年11月15日まで行われた1ヶ月後、ヤンキー・ステーション到着しクリスマスライン上で過ごす。1969年2月8日ガイガー中佐に代わってロナルド・P・ローン中佐艦長着任クーンツ香港向かったその後トンキン湾戻り別の救助探索任務従事続いて横須賀での維持調整期間に入る。EC-121 機が北朝鮮ジェット機によって撃墜されクーンツ日本海急行した任務終えるとスービック湾経由して5月18日サンディエゴ帰還した維持調整期間の後1969年9月クーンツ第1艦隊の1隻として演習 HUKASWEX に参加した海上でのいくつかの活動の後、広範囲維持調整期間に入る。クーンツ1969年補給活動対潜艦戦活動での功績受章している。作業1970年3月3日完了した7月8日ローン中佐退任しT・J・バウエン中佐艦長着任した1971年1月第7艦隊配備直後クーンツサンディエゴ出航パナマ運河経由してフィラデルフィア海軍造船所広範囲オーバーホールおよび近代化改修が行われた。改修と共に1971年2月23日退役となり、対空兵装改修後1972年3月18日再就役母港ロードアイランド州ニューポート変更された。艦長にはT・R・Mエメリー中佐3月8日着任したグアンタナモ湾での試験およびカリブ海での6ヶ月間の作戦活動の後、クーンツ南米およびアフリカへ示威巡航行ったその後ボストン海軍造船所入渠し3ヶ月間の信頼性調査が行われた。訓練および準備期間の後、1973年7月6日出航最初第6艦隊配備地中海向かった1973年12月20日エメリー中佐退任F・Nハウ中佐艦長着任した1974年1月母港ニューポートからバージニア州ノーフォーク変更された。クーンツ1974年11月15日地中海向けて出航様々なアメリカ軍およびNATO演習参加した

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