ベジタリアンとしてのヒトラー
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「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の記事における「ベジタリアンとしてのヒトラー」の解説
1941年7月と1944年11月の間におこなわれたヒトラーとその側近の会話が速記録として残っており、ヒュー・トレヴァー=ローパーがそれを翻訳している(ヒトラーのテーブル・トーク)。ヒトラーがベジタリアンを自称していたという説はこの記録にもとづくものである(一方でイギリスの歴史家であるアラン・ブロックは、ヒトラーがテープレコーダーを使わせたはずがなく、残っている速記録にはマルティン・ボルマンの手が入っていると主張している)。 「 君たちの総統がベジタリアンだったことはご存じかな、日頃から健康を心がけ動物たちの世界を愛するがゆえに肉というものをとらないのだが?君たちの総統はお手本のような動物たちの友人で、首相になってからも長年世話していた動物たちと仲違いしてはいないというのに?…総統は情熱をもって動物虐待に、なかんずく生体解剖に反対する。であればこそ、この現状を打破すると宣言してもいる…したがって動物たちの守護者としての役目を果たすということは、その絶え間ない、名状しがたき苦痛と悩みから救うということなのだ 」 —Neugeist/Die Weisse Fahne (German magazine of the New Thought movement) 1941年11月11日と記されたこの速記録によれば、ヒトラーは「ひとがその生を悔やむのはいつだろう、当然こうなるものだと思っていた未来の世界が実現しえないと気づいたときなのかもしれない。しかし、肉を食べる人間に予言できることが一つだけある。未来の世界はベジタリアンのものだ」と語っている。また1942年1月12日には、「不可能であるほうがよいものが一つだけある。それはなんぱな男たちと羊肉をつつきあうことだ。お前の分だとばかりベジタリアンの私に肉をとりわけてくるに決まっている」とある。 1942年1月22日には「ライオンはせいぜい15分しか走れないが、ゾウは一日8時間も走ることができる!先史時代の我々の祖先であるサルも純然たる草食動物である。日本の相撲取りは世界でも最強に数えられる闘士であるが、彼らも野菜しか食べない。一人でピアノを動かせるトルコ人のポーターも同様である。」と菜食の優越を語っている。 これらの記録で見られる内向きの会話ではヒトラーはしきりに生野菜や果物、穀物をとることのよさについて語っていた。とくに子供と兵士には向いているという。晩餐の招待客に嫌がらせをするため、皿に並んだ肉から飛び退いてみせてからかうこともあった。また伝えられるところでは、ウクライナの屠殺場を訪れたときの様子をなまなましい物語仕立てで語って聞かせたという。 フードライターのビー・ウィルソンは、ヒトラーが「肉を遠ざけていたことは、動物への哀れみとは関係がない」と考えている。つまり、「食事どきにウクライナで訪れた屠殺場の(絵に描かれたように細部まで)自慢をするのがしばしばだった。肉が好きな客が食欲をなくすのをみて楽しんでいた」からである。しかしこの説はBBCのテレビ番組「ナチス:歴史からの警告」では支持されていない。このシリーズには好んで映画をみていたヒトラーのことを語る人間がでてくるのだが、たとえフィクションであっても、動物がひどいめにあったり死んだりという場面をみたならば、ヒトラーは誰かにその場面が終わったと教わるまで目をつむり、顔をそむけていたという証言がなされたのである。またこのドキュメンタリーはナチスが導入したドイツの動物福祉法についても言及しているが、この法律は当時としては画期的なものであった 。 1938年11月、英字誌の「ホーム・アンド・ガーデン」にヒトラーの別荘ベルクホーフについての記事が載る。それによれば「終生のベジタリアンがテーブルについたことで、キッチンは様変わりし、何かをつくるにはずいぶん気の重いところになった。食事に肉がはいっていないときでもヒトラーがかなりの食通であることはかわらず、それはジョン・サイモンとアンソニー・イーデンがベルリンの官邸でヒトラーと晩餐をともにして驚かされたときも同様だった。バイエルン出身のシェフ、ミスター・アルトゥール・カンネンベルク(ドイツ語版)が工夫を凝らした菜食者のための皿の数々は美しく並び、香りが良く色も鮮やかでパレットのように目を楽しませた。すべてヒトラーがもとめた料理の水準にかなう料理ばかりだったと2人は記している」のだった。 「ヒトラーのテーブルトーク」には、ヒトラーが1942年4月25日にベジタリアニズムについて語っているとある。ローマの兵士たちは果物と穀類を食べていたという話や生野菜の重要性といった話にくわえ、彼が強調するのは自然主義者的な観察や化学的な効能といった科学にもとづいた議論だった。 同じ年の4月26日には、ヨーゼフ・ゲッベルスがヒトラーを熱心なベジタリアンだと書いている記録がある。 つづく私たちの話題は、総統というベジタリアンの難問だった。肉食が人類に有害だとますます信じ込むようになっているのだ。戦時下で食材の組み立てにかまけている暇などまったくないことはもちろんおわかりだとはいえ、それが終わればこちらに取りかかろうとするだろう。間違ってはいないだろうが、はっきりしているのは自分の意見をおしつけにするだけの議論でもとにかく影響力をもっているということだ 官房長であった(そしてヒトラーの私設秘書でもある)マルティン・ボルマンは、多くの歴史家がドイツにおけるナチス党員のナンバー2であったと考える人物であるが、ベルヒテスガーデンにヒトラーのための巨大な温室をたてて戦争が続いても新鮮な野菜や果物を供給できるようにはからっている。温室を手入れするボルマンの子供たちのささやかな写真を残して、2005年にはこの施設はまわりでナチスの指導力をうかがわせるものがみなそうであったように廃墟となっていた。 ついにヒトラーは日常生活のなかから肉を排除しようとする傾向さえみせるようになる。たとえば動物に由来する成分を含むと知るなり化粧品にも反対し、愛人であるエヴァ・ブラウンが化粧をする習慣をあげつらって困らせるのだった。戦後の回想録である「ヒトラーのエニグマ」を書いたベルギー人、レオン・ドグレル(英語版)はこういう。「あの人には肉を食べることが我慢ならなかった。それは生き物の死を意味するからだ。兎やマスの一匹でも自分の食事に出すことを許さなかった。野菜のほかで食卓にならべてよいのは卵だけで、それはニワトリを殺すことなく産んだ卵を分けてもらえるからだ」。 ドイツ人の精神分析学者エーリヒ・フロムはヒトラーにとってのベジタリアニズムは姪であったゲリ・ラウバルの死を悼むための手段だったと考えている。またベジタリアニズムは自分が人を殺すことなどできない人間だということを自身やまわりに証明する方法でもあったという 。
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