ベジタリアンとしてのヒトラーとは? わかりやすく解説

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ベジタリアンとしてのヒトラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 03:14 UTC 版)

アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の記事における「ベジタリアンとしてのヒトラー」の解説

1941年7月1944年11月の間におこなわれたヒトラーとその側近会話速記録として残っており、ヒュー・トレヴァー=ローパーがそれを翻訳している(ヒトラーのテーブル・トーク)。ヒトラーベジタリアン自称していたという説はこの記録にもとづくものである一方でイギリスの歴史家であるアラン・ブロックは、ヒトラーテープレコーダー使わせたはずがなく、残っている速記録にはマルティン・ボルマンの手入っていると主張している)。 「 君たち総統ベジタリアンだったことはご存じかな、日頃から健康を心がけ動物たち世界愛するがゆえに肉というものをとらないのだが?君たち総統お手本のような動物たち友人で、首相になってからも長年世話していた動物たち仲違いしてはいないというのに?…総統情熱をもって動物虐待に、なかんずく生体解剖反対する。であればこそ、この現状打破する宣言してもいる…したがって動物たち守護者としての役目を果たすということは、その絶え間ない名状しがたき苦痛悩みから救うということなのだ 」 —Neugeist/Die Weisse Fahne (German magazine of the New Thought movement) 1941年11月11日記されたこの速記録によればヒトラーは「ひとがその生を悔やむのはいつだろう、当然こうなるものだと思っていた未来の世界実現しえないと気づいたときなのかもしれない。しかし、肉を食べ人間予言できることが一つだけある。未来の世界ベジタリアンのものだ」と語っている。また1942年1月12日には、「不可能であるほうがよいものが一つだけある。それはなんぱな男たち羊肉をつつきあうことだ。お前の分だとばかりベジタリアンの私に肉をとりわけてくるに決まっている」とある。 1942年1月22日には「ライオンせいぜい15分しか走れないが、ゾウ一日8時間も走ることができる!先史時代の我々の祖先であるサル純然たる草食動物である。日本相撲取り世界で最強数えられる闘士であるが、彼らも野菜しか食べない一人ピアノ動かせるトルコ人ポーターも同様である。」と菜食優越語っている。 これらの記録見られる内向き会話ではヒトラーはしきりに生野菜果物穀物をとることのよさについて語っていた。とくに子供と兵士には向いているという。晩餐招待客嫌がらせをするため、皿に並んだ肉から飛び退いてみせてからかうこともあった。また伝えられるところでは、ウクライナ屠殺場訪れたときの様子なまなましい物語仕立て語って聞かせたという。 フードライターのビー・ウィルソンは、ヒトラーが「肉を遠ざけていたことは、動物への哀れみとは関係がない」と考えている。つまり、「食事どきウクライナ訪れた屠殺場の(絵に描かれたように細部まで)自慢をするのがしばしばだった。肉が好きな客が食欲をなくすのをみて楽しんでいた」からである。しかしこの説はBBCテレビ番組ナチス歴史からの警告」では支持されていない。このシリーズには好んで映画をみていたヒトラーのことを語る人間がでてくるのだが、たとえフィクションであっても、動物ひどいめにあった死んだりという場面をみたならば、ヒトラー誰かその場面が終わったと教わるまで目をつむり、顔をそむけていたという証言なされたのである。またこのドキュメンタリーナチス導入したドイツ動物福祉法についても言及しているが、この法律当時としては画期的なものであった1938年11月英字誌の「ホーム・アンド・ガーデン」にヒトラー別荘ベルクホーフについての記事載る。それによれば終生ベジタリアンテーブルについたことで、キッチン様変わりし、何かをつくるにはずいぶん気の重いところになった。食事に肉がはいっていないときでもヒトラーかなりの食通であることはかわらず、それはジョン・サイモンアンソニー・イーデンベルリン官邸ヒトラー晩餐をともにして驚かされたときも同様だったバイエルン出身シェフ、ミスター・アルトゥール・カンネンベルク(ドイツ語版)が工夫凝らした菜食者のための皿の数々美しく並び香り良く色も鮮やかでパレットのように目を楽しませた。すべてヒトラーもとめた料理水準にかなう料理ばかりだったと2人記している」のだった。 「ヒトラーのテーブルトーク」には、ヒトラー1942年4月25日ベジタリアニズムについて語っているとある。ローマ兵士たち果物穀類食べていたという話や生野菜重要性といった話にくわえ、彼が強調するのは自然主義者的な観察化学的な効能といった科学にもとづいた議論だった。 同じ年の4月26日には、ヨーゼフ・ゲッベルスヒトラーを熱心なベジタリアンと書いている記録がある。 つづく私たち話題は、総統というベジタリアン難問だった。肉食人類有害だとますます信じ込むようになっているのだ。戦時下食材組み立てかまけている暇などまったくないことはもちろんおわかりとはいえ、それが終わればこちらに取りかかろうとするだろう。間違っていないだろうが、はっきりしているのは自分意見おしつけにするだけの議論でもとにかく影響力をもっているということだ 官房長であった(そしてヒトラー私設秘書でもある)マルティン・ボルマンは、多く歴史家ドイツにおけるナチス党員のナンバー2であった考える人物であるが、ベルヒテスガーデンヒトラーのための巨大な温室をたてて戦争続いて新鮮な野菜果物供給できるようにはからっている。温室手入れするボルマンの子供たちのささやかな写真残して2005年にはこの施設はまわりでナチス指導力うかがわせるものがみなそうであったように廃墟となっていた。 ついにヒトラー日常生活のなかから肉を排除しようとする傾向さえみせるようになる。たとえば動物由来する成分を含むと知るなり化粧品にも反対し、愛人であるエヴァ・ブラウン化粧をする習慣をあげつらって困らせるのだった戦後回想録である「ヒトラーエニグマ」を書いたベルギー人、レオン・ドグレル(英語版)はこういう。「あの人には肉を食べることが我慢ならなかった。それは生き物の死を意味するからだ。兎やマス一匹でも自分食事に出すことを許さなかった。野菜のほかで食卓ならべてよいのは卵だけで、それはニワトリを殺すことなく産んだ卵を分けてもらえるからだ」。 ドイツ人精神分析学者エーリヒ・フロムヒトラーにとってのベジタリアニズムは姪であったゲリ・ラウバルの死を悼むための手段だったと考えている。またベジタリアニズム自分が人を殺すことなどできない人間ということ自身やまわりに証明する方法でもあったという 。

※この「ベジタリアンとしてのヒトラー」の解説は、「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の解説の一部です。
「ベジタリアンとしてのヒトラー」を含む「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の記事については、「アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム」の概要を参照ください。

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