プトレマイオスの体系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 12:42 UTC 版)
詳細は「従円と周転円」、「アルマゲスト」、および「クラウディオス・プトレマイオス」を参照 エウドクソスやアリストテレスの時代の後、バビロニアでは数理天文学がますます発展した。その成果を吸収して、ギリシャ天文学を飛躍させたのはヒッパルコスだといわれている。アポロニウスやヒッパルコスといった先駆者の後を受けて、2世紀にアレクサンドリアで活躍したプトレマイオスは天動説に基づく数理天文学を体系化し、『アルマゲスト』を著した。 エウドクソスが地球中心の円運動を用いたのに対して、離心円や従円と周転円、そしてといったエカントとよばれるより複雑な仕組みを用いた。水星と月をのぞくと、プトレマイオスの扱った天体の軌道は円に近い(軌道離心率が小さい)ため、円運動を組み合わせるこの手法は効果的で、比較的単純な理論で十分な精度を得ることができた。例えば、外惑星および金星の運動は右の図のように説明された。 一方、『アルマゲスト』の惑星の黄緯方向の運動を説明する理論は、周天円や従円の傾斜の振動を含み、過度に複雑であった。特に内惑星のものは複雑すぎて計算を遂行するのも困難で、『アルマゲスト』では精度のよくない近似で済ませている。コペルニクスが新たな体系を作ったときも、『アルマゲスト』の理論の影響を引きずって、惑星の軌道は太陽の周りを上下に複雑に振動しながら周回した。この影響はティコ・ブラーエまで及んだ。 古代ギリシア天文学の特徴の一つは、天体の見かけの位置の決定にとどまらず、天体の配列や距離、大きさといった、宇宙論的な話題に関与したことである。例えば、太陽と月については、日月食や満ち欠けなどを利用して距離や大きさが推定された。今日から見れば精度に難はあったものの、太陽が地球よりはるかに大きく非常に遠方にあることは理解されていた。しかし、観測技術の制約から、それ以外の天体までの距離を計測することは難しかった。理論的にも、天動説では地球を中心に軌道を拡大・縮小しても視方向は変わらないので、見かけの位置の理論は距離についての手掛かりが少ない。これは、コペルニクスの体系では、黄道座標に太陽-惑星間の距離と地球-太陽間の距離の比率の情報が含まれているのとは対照的であった。 そこで、運行の周期を主な根拠に、プトレマイオスは地球から月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星の順を想定した。彼は従円と周転円を透明で硬い球体としていたから、これらの円が重なりあわないように配置した。そして、既に確立していた太陽と月までの距離の推計をもとに、惑星までの距離を推測し、視直径の見積もりと合わせて大きさも推測している。これらの推測値は、後世まで大きな影響があった。 上述したように、天体までの距離の計測は難しかったが、変動の度合いは、天体の見かけの大きさや明るさの変動に反映される。しかし、これらの問題は、見かけの位置の問題に比べるとあまり注意深く扱われなかった。プトレマイオスは、太陽と地球の距離が変動する理論をつくりながらも、太陽の見かけの大きさは不変とした。月と地球の距離は最大二倍変動するとしたが、見かけの大きさの変動とは明らかに合わず、イブン・シャーティルやコペルニクスの月の理論の動機になった。日食においては金環食はあり得ないとした。 上述したように、プトレマイオスは周転円や従円の物理的な実体は、等速で回転する透明な球体だとする。この宇宙像は、エウドクソスやアリストテレスの同心天球の拡張形とも言える。しかし、この「透明な等速回転する球」という描像では、エカントを取り入れた離心円は説明できず、球の回転速度を複雑な規則に従って変化させる必要があった。さらに、周転円の傾斜の振動については、回転する球で実現できるかどうかも不明であった。そもそも、アリストテレスの自然学では、宇宙の中心の周りの等速回転しか認められないので、周天円も離心円も正当化されなかった。 プロクロスは新プラトン主義の立場から、プラトンの宇宙論とプトレマイオスの体系を対置し、周転円などの概念の実在性に疑問を呈した。その一方、プトレマイオス体系の高い予測能力を認めて必須の学問とた。彼の弟子もまた、『アルマゲスト』を学んでいる。中世に於いても、現象の説明能力は評価されつつも、自然学との齟齬や物理的な不自然さがクローズアップされた。その中で、エウドクソス的な理論が代替案として浮上することもあった。 『アルマゲスト』は古代の比較的早い段階で、天文学の古典としての地位を確立する。2世紀後半-3世紀初頭には、早くもArtemidorusによる注釈書が書かれる。ただし、この注釈書の水準は、科学史家ピングリーの「アルマゲストの言明を理解しそこねたり誤解するという伝統を確立した」という評から推測するに、あまり高くないと思われる。また、パップス、テオンなどの教育的な注釈が知られているが、『アルマゲスト』を超える内容は含まれておらず、程度も低い。『アルマゲスト』の天文学的な内容の検証や改善は、古代ではあまり進まなかった。イタリア半島やそれ以西においては、ギリシア語で書かれた天文学の専門書に興味を示したものは少数派で、ラテン語訳も作られず、天文学の知識は一般向けの百科全書などの解説か、理論的根拠の曖昧な実用的な季節の決定方法によっていた。
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