歴史的概念としての天球とは? わかりやすく解説

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歴史的概念としての天球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 01:45 UTC 版)

天球」の記事における「歴史的概念としての天球」の解説

4世紀アリストテレス天動説受け継いで2世紀プトレマイオス著書アルマゲスト』において惑星恒星その上に存在するとする天球導入した当初惑星動き説明するための純粋に数学的なモデルであったこの天球概念は、後にプトレマイオス自身によってこの宇宙成り立ちを表す実体概念として扱われるようになった。この宇宙像では地球はこうした幾重もの水晶のような天球取り囲まれているとされるプトレマイオスの体系惑星複雑な実際運動説明するために周転円エカントのような工夫が必要とされ、この素朴な見方には危うさつきまとってはいた。しかし基本的にはこうした実体としての天球をもつ宇宙像はその後アラビアヨーロッパへほぼそのまま受け継がれ17世紀まで俎上載せられることはなかった。 16世紀コペルニクス地動説においても宇宙惑星運動する入れ子になった球体恒星天球恒星天)とに取り囲まれていた。むしろコペルニクス体系プトレマイオスの体系内の天球からの逸脱を少しでも減らし太陽系調和取り戻そうとした試みであった捉えられる一方で地球公転するとしたにも関わらず恒星年周視差観測にかからなかったため、コペルニクス体系では恒星天惑星天球よりもはるかに大きなものと考える必要が生じたコペルニクス地動説普及努めたトマス・ディッグズは恒星天取り除き恒星ちらばる無限の宇宙導入しガリレオ恒星天あまりに巨大だとして自らの天球図に描き込まなかった。 惑星天球概念捨てねばならなくなったのは、1609年の『新天文学』においてヨハネス・ケプラー火星、そして他の惑星軌道楕円であることを示したときである。ケプラー一方で恒星天存在維持し宇宙有限であると考えていたが、とりわけティコ・ブラーエ行った彗星観測によって惑星天球考え捨てねばならないことに気づいていた。このとき惑星動きが完全な図形としての球を基準とすることはありえなくなり天球実体として保持し続けることはできなくなった天球のないケプラー太陽系像では、惑星何の支えもない空間彼の発見した精密な法則に従って動かねばならないという、当時考えでは驚くべき事態もたらした機械論的な近接作用のみで運動説明されねばならない考えたデカルトは、後のエーテル概念につながる渦まく流体想定した空間越え単純な数学に従って作用する重力定式化したのは、神学的な信念からこのデカルト機械論反発したアイザック・ニュートンによってであった

※この「歴史的概念としての天球」の解説は、「天球」の解説の一部です。
「歴史的概念としての天球」を含む「天球」の記事については、「天球」の概要を参照ください。

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