プトレマイオスとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 06:01 UTC 版)
「ベレニケ1世」の記事における「プトレマイオスとの結婚」の解説
最初の夫ピリッポスと死別後、ベレニケは、母のいとこであり、プトレマイオス1世の妻であったエウリュディケ(英語版)(前述のアンティパトロスの娘)の侍女として、子供たちを連れてエジプト中を巡ることになった。このエウリュディケの夫プトレマイオス1世はアレクサンドロス大王に仕える将軍の1人であり、古代エジプトのプトレマイオス朝を創始した人物である。プトレマイオス1世の目にとまったベレニケは、そのまま紀元前317年に結婚する。アルシノエ2世とフィロテラという2人の娘とプトレマイオス2世を2番目の夫との間にもうけた。 時代ははっきりしないが、オリュンピアの時期にベレニケ1世は戦車競走を観覧したという記録もある。彼女の息子プトレマイオス2世は、父に反抗的だった最初の妻エウリュディケとの長子プトレマイオス・ケラウノスよりも目をかけられ、紀元前285年には父の後継者とみなされて共同統治者となった。ベレニケ1世の死後、プトレマイオス2世と後のプトレマイオス4世フィロパトルが勅令を出して先の女王を神格化したという逸話は、テオクリトスの「イディル」にもみられる。また紅海に港が建てられ、ベレニケと名づけられている。
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