ステンガンの登場
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1941年に入り、イギリス軍はロンドンの北部にあった国営兵器工場・エンフィールド王立造兵廠に、扱いやすく生産性の良い短機関銃の開発を要請した。 これを受け、エンフィールド造兵廠の技師であるレジナルド・V・シェパード(Reginald V. Shepherd)とハロルド・J・ターピン(Harold J. Turpin)は共同で新型サブマシンガンの開発にあたった。開発にあたって彼らが参考にしたのはドイツ製のMP28とMP40だった。 特にMP40は当時における最先端の短機関銃であり、銃としての性能自体もさることながら、鋼板プレス部品の多用など、それ以前の短機関銃とは隔絶した生産合理化策が加えられた、極めて斬新な銃だった。シェパードとターピンらはこれらのドイツ製短機関銃を徹底的に調査・分析した。 実包はドイツ軍の制式拳銃弾である9mmパラベラム弾が採用された。通常、短機関銃の実包は制式拳銃と同様の拳銃弾を使用するのが望ましいが、弾薬補給の複雑化を承知でこの実包を採用した背景には、イギリスの制式拳銃弾である38エンフィールド(9mm)弾が回転式拳銃(リボルバー)用のリムド(有起縁式)実包であり、自動火器の使用に向いていなかったという理由があった。 従前では考えられないほどの特異な合理化設計が図られ、1941年6月に試作銃を完成させた。「ステン」(STEN)という名称は、2人の技師の頭文字(S、T)と、エンフィールド造兵廠の頭文字(EN)に由来する。また、第二次世界大戦初期のイギリスでは短機関銃をマシンカービン(Machine Carbine)と呼称していたため、採用当初の制式名称は9mm STEN Machine Carbine, Mark 1(ステン9mmマシンカービン Mk.I)とされていた。制式火器採用トライアルをパスした後、イギリス政府はさっそく大手銃器メーカーBSA社にステンガンの量産を依頼した。8月に入るとBSA社は試験的に25丁を生産し軍に納入した。その後9月、10月と生産を増やしていった。 最初の生産型Mk.Iは、まだ伝統的な小銃形式を模した第一次世界大戦型の短機関銃の姿を残しており、左から水平に差し込まれる箱形弾倉、木製の先台、折り畳み式フォア・グリップ、スプーン型のフラッシュハイダーなどが装備されていた。採用後まもなくして一層の省力化を試みたMk.IIの生産に移行したため、Mk.Iおよび小改良を加えたMk.I*の生産数は10万挺程度に留まった。 Mk.IIの基本的なデザインはMk.Iと同様だったが、木製部品やフラッシュハイダー、フォア・グリップなどは廃され、フル・バレルジャケットは短めのベンチレーテッドパイプに変更され、銃身の前半部が露出するようになった。円筒状のボルトを同じく円筒状のレシーバーに収めており、その外観は水道管用の鉄パイプに引き金と箱形弾倉を差し込んだような異様な姿となった。 ストックは一本の鋼管にバットプレートとグリップ代わりとなる三角形の孔開き鉄板を溶接したものだった。前方のフォア・グリップは省かれ、レシーバー先端部に留めたバレルカバー(ベンチレーテッドパイプ)を代用にしていた。これらは本来、銃器生産に携わらぬ工場で下請け生産するために取られた措置であったが、意外なことにこれだけ省力化されてもフルオート専用ではなく、セミ/フル切り替えセレクターによって単発射撃が可能であった。 Mk.IIは推定200万挺にも及ぶ大量生産が行われた。自転車部品メーカー、装身具メーカー、果ては醸造所に至るまでの町工場やカナダなど英連邦の兵器工場などでも生産された。 Mk.IIにサプレッサーを取り付けたMk.II(S)も少数生産された。Sは特殊用途(Special Purpose)を意味する。消音の際、銃身からガスを逃して弾速を亜音速まで低下させる都合、燃焼ガスの圧力が低くても支障なく稼働するように短いリコイルスプリングと軽いボルトが組み込まれていた。フルオート射撃はサプレッサーの寿命を著しく縮める為、Mk.II(S)のマニュアルでは極力セミオート射撃を行うこととされていた。ただし、緊急時に必須であるとして、フルオート射撃能力はそのまま残されていた。 Mk.IIIは更に設計を簡素化したモデルで、Mk.Iを元に玩具メーカーのラインズ・ブラザーズが開発した。開発時期はMk.IIとほぼ同時である。主にイギリス本国のホームガードへ供給された。総生産数は約87万6千挺。レシーバーと一体化したバレルカバーが銃口付近まで延長され、部品の数は僅か47個、5時間で完成できる。弾倉などの一部を除いてMk.IやIIとの部品互換性はない。簡素化したことで潤滑油が不要だが、元々、銃器設計経験のないLB社の設計ミスと簡素化されすぎた工作から、Mk.IIに比べて動作不良率が高く、耐久性の低さや分解整備の困難さも相まって評判は悪い。軍のトライアルでも射撃停止、規定発砲数に達する以前にガタが来るなど散々な結果を露呈した。Mk.IIの製造を終了し、より簡素かつ安価なMk.IIIの量産に移行する計画も当初はあったが、トライアルにおけるほぼ全ての項目でMk.IIの優位が認められたため、Mk.IIIの製造は早々に打ち切られた。 Mk.IVと称されるモデルはいくつかあるが、いずれも試作のみに終わり、量産には至らなかった。1つはMk.IIを原型に、下方折り畳み銃床とセミオート射撃のみ可能なトリガーグループを組み込んだものである。Mk.IV-Aとして知られるモデルも、やはりMk.IIを原型としており、短銃身、フラッシュハイダー、大きなトリガーガード、ピストルグリップ、側面折り畳み銃床が組み込まれていた。 1944年初頭になると、Mk.Vが加わった。これはMk.Iへ先祖返りした正統な改良発展型とでも言えるステンガンで、Mk.I以来の木製ストックを復活させ、前後にピストルグリップを追加。照準線を長く取るべく、これまではレシーバー上に溶接されていた照星を銃口付近へ移した上で、制式小銃に準じたガード付きに改正して命中精度を高めると共に、着剣装置を備えて銃剣突撃が可能なように改めた最終生産型である。外見はかなり変化しているが、生産性にも配慮されており、ボルトなど部品の多くはMk.IIと共用可能だった。 Mk.VIは、Mk.Vにサプレッサーを装備した消音型である。
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