自転車部品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 13:55 UTC 版)
1921年、わずか1台の工作機械で後輪用1枚ギアの製造からスタートした。実用車からスポーツサイクルまでの主要な構成部品を数多く生産し、世界最大の自転車パーツメーカーであり、日本国内においても2013年現在は自転車業界唯一の東証一部上場企業である。 1973年にリリースしたDURA-ACE(デュラエース)は、変速機やブレーキ、ハブ、チェーンホイール等をセットにして販売し、コンポーネントという概念を作り上げた。パーツをコンポーネントで統一すれば互換性の点で悩むこともなく、デザイン的にもスッキリするのですんなり受け入れられ、他社も追従することとなった。ただ、変速機やブレーキ等の専業メーカーはシマノに市場を奪われ、ライバル関係にあったサンツアー(マエダ工業)、スギノテクノ(現スギノエンジニアリング)などは次第に苦戦することになる。ちなみに、変速機のメーカーだったマエダ工業はチェーンホイールをスギノテクノ、ブレーキを吉貝機械金属(現ヨシガイ)、ハブを三信技研に作らせ、サンツアーブランドでコンポーネントを展開させ、シマノに対抗する。 1973年に外装変速機の位置決め機構「ポジトロンシステム」を実用化、さらに「自転車が停止した状態で、あらかじめレバーを選択したいギアのところに入れておけば、発進時の踏み出しの際に自動的にギアが変速する」という「ポジティブプリセレクトシステム」の実用化にも成功、少年用スポーツサイクル用の変速機として人気を博した。 今でこそ世界最大の自転車パーツメーカーではあるが、1981年に投入したAXシリーズはシマノの屋台骨を揺るがす事態を引き起こした。AXシリーズはエアロダイナミクスを大胆に取り入れ、(特に、シャフトが存在しないデザインのペダルが)世界にセンセーションを巻き起こしたのだが、強度不足による破損、整備性や互換性の問題、実感できないエアロ効果等、完成度の低さから失敗作との烙印を押された。しかし、この手痛い失敗を教訓とし、シマノは製品化前にプロによる実戦テストを念入りに行うようになり、高い信頼性を誇る製品を生み出す体質へと変貌させた。 1984年にはポジトロンシステムの技術を応用し、変速レバーにラチェットを設けることで変速を容易かつ正確にしたシマノインデックスシステム(SIS)が大ヒット。また、チェーンホイールやスプロケットに加工を施し変速を迅速にするハイパーグライドシステムを開発、さらに変速レバーとブレーキレバーを一体化したデュアルコントロールレバーでハンドルから手を離さずに変速できるシマノトータルインテグレーション(STI)を登場させ、他社に決定的な差をつけた。サンツアーはブレーキレバー付近に取り付ける手元シフトレバー「コマンドシフター」をシマノに先駆けリリースしていたが操作性でSTIに劣っており、「エルゴパワー」で追従した伊カンパニョーロ以外のライバルは事実上消滅。その後2000年代に入りSRAMの参入はあったものの、かつてに比べライバルの数は大きく減少している。 初期のマウンテンバイク市場にも積極的に商品を投入し、最上位グレードXTRを筆頭に市場をほぼ独占した時期もあった。ロード用で培った技術をMTBにも応用し高い人気を誇っている。近年MTB向けにもロードバイクのSTIを模して、ブレーキレバー自体を操作することで変速できるタイプのデュアルコントロールレバーを投入したが、ロード用ほどには普及していない。 他にも強力な制動力を持つVブレーキをはじめ、独自の機構、規格の部品を多数開発している。また2009年モデルからロードバイク用の電動コンポーネント(パワーシフター)を発売することを発表した。他にもホイールや競輪などのトラック競技車用のパーツ、ビンディングシューズやボトルなどの関連用品も販売しているが、フレームは製造していない。 2020年にはペダリングモニターやサイクルコンピューターを製造していたパイオニアからサイクル事業を譲渡された。
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