コラージュによる作画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:21 UTC 版)
古賀春江の代表的な作品である「海」は、コラージュ技法による作品であることがわかっている。コラージュ技法自体は、古賀以前の大正期の画家が既に実践しており、それ自体は何ら新しい試みではない。しかし「海」においては、絵画におけるモンタージュではなく、むしろ写真におけるモンタージュ技法に近い点が従来と異なる。 仲田定之助が「写真技術の新傾向―ホモリ・ナギーの近著から」(「アサヒカメラ」二巻、1926年10月号)という論文内でホモイ=ナジの「形成写真(Foto-plastick)」(写真によるコラージュ技法)の紹介を行っており、この頃、古賀はコラージュ技法に興味を持っていた。坂宗一(古賀と親交のあった画家)によると、 これから始まる超現実主義の仕事に、私も脇役で手伝った。と云っても、ただ子供の科学という薄っぺらな雑誌を古本屋の店先で買い集めるのだが、その仕事が彼の仕事にどう役立つかは知らなかったが、古賀さんはこの中から関連なく写真や絵図を切り取って組み合わせることで、一枚の主張を持った作品を創った。これをモンタージュというのだと後になって教えてくれた。無関連を関連して別な意味を創りだすというむずかしい話だった。 — 坂宗一、「サーカスの景」「古賀春江回顧展」福岡県文化会館、1975年、p.105 という。 このような、科学雑誌からのコラージュによる作画法は、マックス・エルンストや、その手法を参考にして描いた一時期の福沢一郎と同様の手法である。以下のように、1929年の「海」以降の多くの作品も「科学画報」「アサヒグラフ」「キング」といった一般雑誌に掲載されていた写真のコラージュによって構成されていたことが明らかにされている。 「海」の画面中央からやや左上に見える飛行船は、一般向け科学雑誌「科学画報」1928年12月号p.846の中の一枚の写真を参考にした可能性がある。また、飛行船のすぐ下に見える鉄塔は「科学画報」の同じページの別の写真から、画面下側に見える潜水艦は「科学画報」1928年5月号900頁掲載の挿図から採られた可能性がある。その他、画面右の女性は「原色写真新刊西洋美人スタイル第9集」(青海堂)という絵葉書セットの一枚からとられたことがわかっている。 「鳥籠」の画面左、鳥篭に閉じ込められた女性というデザインは、この絵が発表された春に公開された映画「妖花アラウネ」のスチール写真をもとにしているのではないかと指摘されている。また、画面左下の階段は、「科学画報」1928年5月号p.809に掲載された「高架式最新設備の大荷物駅竣工」に描かれた挿図からとられたものとみられる。その他、画面中央下と右上にそれぞれ見られる円盤状の物体は「科学画報」1927年1月号p.36掲載の方解石の顕微鏡写真をもとにしている。 「窓外の化粧」の画面右上の高層ビルの上で女性が踊っている部分は、「アサヒグラフ」1925年9月30日号p.6掲載の写真「エッフェル塔上ダンスの一幕」から着想された。この事実は、残っている「窓外の化粧」のためのスケッチ数枚から推定されている。絵の女性のポーズは、大衆娯楽雑誌「キング」1927年4月号の写真「世界写真画報(瑞典の巻其のニ)」から採られた。なお、速水「シュルレアリスム絵画と日本」では写真のダンサーはスウェーデン人であると書かれているが、「古賀春江 創作の原点 作品と資料でさぐる」p.46ではスイス人だと書かれている。 「単純な哀話」の画面右下に見える植物は「科学画報」1928年5月号p.860に載っている挿図のコラージュである。 「黄色のレンズ」の画面左に見える抽象的なデザインは「科学画報」1928年4月号p.734に載っている挿図からのコラージュである。 「音のない昼の夢」の画面右下に置かれた花は「科学画報」1928年5月号p.861「植物の感覚」の挿図を抽象化して使ったものらしい。 「女のまはり」の画面左に見えるボールを上に投げ上げた人物は、「アサヒグラフ」1929年8月14日号の「コドモグラフ」と題した子供向けページに載っていた「まりつき」という題の写真のコラージュである。 「春来る」の画面中央のポーズをとった女性は、「アサヒグラフ」1930年5月7日号p.17の「マーガレット・モリス舞踊団の練習」と題された写真からとられたものである。 「仮説の定理」の画面左側中央の奇妙な乗り物に乗った人物は「アサヒグラフ」1927年12月14日号p.23の「帆かけ車」の写真を利用したもの、画面中央右上の犬は「アサヒグラフ」1930年11月12日号p.18.の「たかとび」と題した写真の中の犬を利用したものである。 「朧ろなる時代の直線」の画面右上の描かれた飛行機とモーターボートは、「アサヒグラフ」1930年6月4日号p.11の「モーター・ボートからの離陸」の写真を利用したものである。 「現実線を切る主智的表情」画面左の射撃手は「アサヒグラフ」1926年2月24日号pp.8-9の「湖上佳人の射撃練習」を利用したものと推測されている。また、スケッチ段階で射撃手が持っていたのはライフル銃であったのに対し、最終的な絵ではライオット・ガンに変更されている。このライオット・ガンは、「アサヒグラフ」1928年2月22日号p.11の写真「新型自動ライフル銃」を用いたものとみられる。画面右の馬と柵は「アサヒグラフ」1926年6月2日号p.14の「かろがろと飛び越えて」の馬を利用したものである。馬に乗っているロボットは、当時の日本で1931年を頂点としてロボット・ブームがあり、その影響によるものとみられる。 最晩年の作「深海の情景」の画面中央下の白い動物は、「アサヒグラフ」1931年4月15日号掲載の写真「最先端をゆく舞踏の」の中のポーズをそのまま利用している。 「サアカスの景」は、ハーゲンベック曲馬団をイメージして描かれた絶筆だが、松田諦晶の残した資料の中に「独逸ハーゲンベック動物園・世界最大の猛獣大サーカス図実景」の絵葉書10枚が含まれていて、うち6枚に絵の具がついていることから、これらの葉書の絵を利用したと見られる。
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